おはようございます。
昨日はおやすみしました。本当に残念です…(>_<)。
今、別プロジェクトのレポートの締め切りが迫ってて、だいぶ焦っています…。
でも…
なんとか…
二日に一回は更新したいと思っています。
よろしくお願いします<(_ _)>
今日も、「論語」です。「巻第六 顔淵第十二の9」から。
「哀公、有若に問いて曰わく、年饑(う)えて用足らず、これを如何。有若対(こた)えて曰わく、なんぞ徹せざるや。曰わく、二にして吾れ猶(な)お足らず、これを如何ぞ其れ徹せんや。対えて曰わく、百姓たらば、君孰(たれ)と与(とも)にか足らざらん。百姓足らずんば、君孰と与にか足らん。」
あ、全文書いちゃいました。…(>_<)。
で、金谷先生の訳文は、
哀公が、有若におたずねになった。「凶作で費用が足りないが、どうしたものだろう。」有若がお答えして言うには、「いっそ徹(1割の税)になさっては。」「2割でも足りないのに、どうしてまた徹(1割)にするのか。」
お答えしていった、
「万民が十分だというのに、殿様はだれといっしょで足りないのでしょうか。万民が足りないというのに、殿様はだれといっしょで十分なのでしょうか。」
『税収が減る→民が貧乏な生活を強いられている→君子も節制する』
有若っ。 えらいっっ!!
私は君子じゃなければ、学者でもないけど、こんな心配りができる人になりたいです。
こういう気配りが苦手なのです…。…ジブンノコトシカ、カンガエテイナイカラ。
だからこそ、心に刻みたいなと思いました。
タイトルの「足るを知る」は、老子の言葉のようですね。
「足るを知る」を超え、気配りのところまで悟れたら本望です。
…イキツケナイクライ、トオイケド…
日々精進。今日もがんばりませう。
ではまた明日~かな? 良い一日を~🍀。