ただのメモ。

悩みとグチと苦労と不幸と幸せは、気持ちの問題。それぞれに相関はないんだよ。

孟子#10<私は人間になれますか!?>

おはようございます。keroyonです。
やはり、何かかきたいなーと、「孟子 上巻」を流し読みしてました。

 

一番書きたいことは、見つからなかったんだけど…(*_*;、
二番目に書きたいことを書きます。

 

孟子 巻第三 公孫丑章句上の6」からです。
岩波ワイド版とは章立ての名前が違うのね。小林勝人先生の訳を抜粋します。

 

孟子がいわれた。『人間なら誰でも憐れみの心はあるものだ。

…その理由は…たとえばヨチヨチ歩く幼な子が今にも井戸に落ちそうなのを見かければ、誰しも思わず…助けようとする。…これを縁故にその子の親と近づきになろうとか、村人や友達からほめてもらおうかとのためではなく、また、見殺しにしたら非難されるからと恐れてのためではない。…

あわれみの心がないものは、人間ではない
悪をはじ、にくむ心の無いものは、人間ではない
譲りあうこころのないものは、人間ではない
善し悪しを見分ける心のないものは、人間ではない

あわれみの心は仁の芽生えであり、悪をはじにくむ心は義の芽生えである。
譲り合う心は礼の芽生えであり、善し悪しを見分ける心は智の芽生えである。

人間にこの四つの芽生えがあるのは、…四本の手足と同じように、生まれながらに具わっているものなのだ。
自分にはとてもそんな立派なことはできそうもないとあきらめるのは、自分を見くびるというものである。

…だから、…この心の四つの芽生えを育て上げ、立派なものにしたいものだとさとり、…育てて大きくしていけば、ついには天下をも安らかに修めるほどになるものだが、もしも育てて…いかなければ、[折角の芽生えも枯れしぼんで]、手近な親孝行さえも満足にはできはすまい。』」

 

長いーっ。お付き合いありがとうございます。
なぜか、図書館の本に太字の部分が、『』で落書き?してあったです(*´▽`*)。

「人間ではない!」って強烈な表現ですね…。
漢文の「非人也(人にあらず)」の方が、しっくりくるかも。

 

心の余裕がないと、あわれみや譲り合いの心、を忘れちゃいます。
また、こういう心って伝染するような気がしていて、

たとえば、
電車の中で席を譲る若者
を見ると、私もほわぁーんと、「席、譲ろっかなー」と思います。

なので私も、横断歩道で待つ歩行者をみたら、「止まってあげたいなー」と思っています。そして、反対車線の車が横断歩道の手前で止まっていたら、私も止まりたい。
…この時、反対車線の車にダーダー行かれると、すごく腹立つ"(-""-)"…。

 

心の余白が持てるような生活は、どうしたら送れるんでしょーかね。
…とりあえず、残業しなかったら、少し取り戻せました。…コレハ、カイケツ ナノカ!?

 

あぁ、今日も9時半。遅刻ですっ(*_*;。
ではでは、今日も良い一日でありますように🍀🍀🍀!

 

 ※出展:岩波書店 「孟子」 訳注者:小林勝人

孟子〈上〉 (ワイド版 岩波文庫)

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