こんにちは。keroyonです。
お盆休みも終わり、ぼちぼち、平常を取り戻してきましたね。
今日は、繋辞下伝第5章からです。
書き下し文は、
「(略)子曰く、天下何をか思い何をか慮(おもんばか)らん。天下帰を同じうして塗(みち)を殊(こと)にす。一致にして百慮す。天下何をか思い何をか慮らん。」
本田先生の解説です。
「(略)天下に何の思いわずらうことがあろう。天下のことは帰するところはみな同じなのに、人は私心でもって道を異にしている。結果は一つなのに、人が勝手にいろいろ苦慮しているだけである。天下すべて自然に任せればよいので、何の思いわずらうことがあろう。(略)」
で、ここの私心というのは、咸(かん)という卦の「周易下経」の部分の本田先生の解説の方が分かりやすくって、
「心のなかにせせこましい私心があってはならない。
私心が全くなくなれば、広々とした万物共通の境地が開ける。天地には私心がないから、日が往けば、月がそこに応じてやってくるし、暑さが往けば、それに応じて寒さが来る、その無窮の往来こそ、自然の無心の感応だということである。」
と、繋辞下伝にある。とあります。
…ケイジカデンブブンノカイセツデハ、ビミョウニヒョウゲンガコトナッテル…
結局のところ、
「人事を尽くして天命を待つ」
感じでしょうか。
あまり、苦慮する必要はない感じ?
…冷たい物言いも、私のせいじゃないかもしれないし…(*´▽`*)。
気楽に、きら~くに、いきましょ。…コンナニ、ズブトク イキテモ、ヨイノデショウカ…
少なくとも、自分ができることはしようと。
あらためて心に刻んだkeroyonでした。
ではまた、明日~。よい一日でありますように。🍀🍀🍀
※出展: 本田濟 著 「易」 朝日選書