こんにちは。keroyonです。
先日…、
zaihamizunogotoshi.hatenablog.com
この記事をUPした時に、BEのぶさん(id:casemaestro89)からこんなコメントをいただきました。
詩三百、一言以てこれを蔽(おお)う、曰わく思い邪(よこしま)なし。という言葉が『論語』にありますが、詩(経)は本心をありのままに伝えていますね。 / “庶民だけじゃない、偉い人も悩んでた。<詩経#2> - keroyonの『日々…” https://t.co/Ck1v5Hf8CP
— BEのぶ@昭和歴史考証家 (@bjnobu) 2018年3月20日
そういえば、そうだった。「論語」の中に「詩経」が取り上げられていたなぁ。
…忘れてました(>_<)。
詩経は、
詩経 - Wikipedia (18/4/1引用)
なので、孔子が論語の中で詩経を引用しているのは、至極まっとうなのですが、どんなことを参照しているのかなーと興味がわき、少し調べてみました。
ざざざっと、目で探しただけなので、ぬけぬけだとは思うのですが、BEのぶさんの文章も含め、今のところ4か所発見。
一つずつ紹介できたらなぁと思います。
今日は「切磋琢磨」の話です。
論語は、巻第一 学而第一 15から。
子貢がいった、「貧乏であってもへつらわず、金持ちであってもいばらないのは、いかがでしょうか」
先生はこたえられた、「よろしい。だが貧乏であっても道義を楽しみ、金持ちであっても礼儀を好むというのには及ばない」
子貢がいった「詩経(衛風淇奥篇)に『切るが如く、磋るが如く、琢つが如く、磨くが如く』と(いやがうえにも立派にすることを)うたっているのは、ちょうどこのことでしょうね。」
先生はいわれた、「賜よ、それでこそいっしょに詩の話ができるね。(略)
参照先の「詩経」衛風から、淇奥の詩はこちら。
淇奥(きいく)
淇水の隈を見渡せば 緑の竹ぞうるわしき
おおうるわしきこの君は
骨切るごとく象牙(きさ)磋るごとく
玉琢(え)るごとく石磨(す)るごとく
おごそかにまた僴(たけ)く かがやかに咺(あきら)けし
おおうるわしきこの君は 民(ひと)皆永くわすれかねつ
淇水の隈を見渡せば 緑の竹ぞ生い茂る
おおうるわしきこの君は
宝石(たま)の耳あて きらめく弁(かんむり)の飾り
おごそかにまたたけく かがやかにあきらけし
おおうるわしきこの君は 民(ひと)皆永くわすれかねつ
淇水の隈を見渡せば 緑の竹ぞ簀*1(すのこ)なす
おおうるわしきこの君は
金(こがね)のごとく 錫(すず)のごとく
圭*2(たま)のごとく 璧(たま)のごとく
おおどかにのびやかに 重較*3(かざれるよこぎ)に寄り給う
よく謔*4(たわむれ)たまえども つゆ虐(はげ)しきをなし給わず
*衛の武公を讃える歌。(略)武公は年95になってもなお国中に諫言(かんげん)をもとめ、懿戒(いかい)の詩を作って自分を戒めたといわれる。この詩はこの切磋琢磨の功を積んだ君子をほめる頌徳(しょうとく)の歌であろう。
*1 簀:緑竹がすのこのように並んで密集していること
*2 圭:上方が円くて下方が四角な玉
*3 重較(かざれるよこぎ):車の上の横木で、手を寄りかからせるもの。それには飾り木がついている。
*4 謔(たわむ)れ:冗談はいっても、人をしいたげるようなことはせぬ、謔と虐とのことばのあや。
そのほかの語句解説です。
懿戒(いかい)の「懿」:(品性・行ないが)立派である,すばらしい
懿の意味 - 中国語辞書 - Weblio日中中日辞典 (18/4/1)
頌徳(しょうとく):徳をほめたたえること
頌徳(ショウトク)とは - コトバンク (18/4/1)
いやー、切磋琢磨したものは、骨だったり象牙だったり石だったりした、というのも発見だったのですが、武公が、95歳になっても他人の意見に耳を傾け、自分をいさめたというところが最も感動しました。
そろそろ人生の秋に差し掛かっているkeroyonですが、武公から見たら、まだまだ赤んぼですね(*´▽`*)。これから日々精進で十分間に合いそうです。ヨカッタ。
今日も長くなりましたが、おつきあいくださりありがとうございました。
今日から4月。新たな年度の始まりです。
よい一年になると良いですね。
明日からの一週間も、よい一週間になりますように~🍀🍀🍀。
※出展:訳注者:金谷治 「論語」 岩波書店
目加田誠 訳 「詩経・楚辞(中国古典文学大系15) 」 平凡社