ただのメモ。

悩みとグチと苦労と不幸と幸せは、気持ちの問題。それぞれに相関はないんだよ。

こころのレベルの話#2<変化する。自分も他人も>

こんにちは。
昨日は、ヤノユウ (id:yanoyu22)さんのクラゲサバトを初体験し、夜寝れなくなり、朝お弁当が作れなかったkeroyonです。

クラゲ化計画 いかがですか?
たまに人間やめたくなったら、クラゲになってみてください。直接ヤノユウさんにお声がけしてもいいし、ツイッターでクラゲの形をした人に声をかけても仲間になれます。

 


詳細は、こちら↓

www.yanoyu.com

 

ツイッター企画が多いのかな?ツイのアカウントがあったほうがいいかもしれませんね。

 

ところで。

 

最近心が弱った時に、2人の先生にお会いしましたという話を以前UPしました。

捨てる神あれば、拾う神あり。 - keroyonの『精進なんてやーめた』日記

 

3人目の先生は心のリアルなお医者さんです。
先生の名前を順番に、A先生、B先生、C先生とします。

A先生とC先生に「人付き合いの距離感がよくわからないんです」という相談をしたときに、なんと全く同じ答えが返ってきて、衝撃を受けたことを思い出しました。

 

「距離感が近すぎたなと思ったら、距離を置けばいいのです」

 

これ、常識なのかな。だって全く同じ文言だったんだもの。

これとね、一昨日の記事の「こころのレベル」の話、

記事にも読者にも、それぞれ心のレベルがある。 - keroyonの『精進なんてやーめた』日記

 

と、昨日の老子の考え方(ここはリンクいらないでしょ。さすがに)

「道の道とすべきは、常の道にあらず。名のなとすべきは、常の名にあらず。」

常はない=いつも変化する

 

を総合すると、

 

自分にもこころのレベル変動があって、
相手にもこころのレベルの変動があって、
出会ったときは、いい感じだったかもしれない。だけど、

自分もレベルが変わるし、
相手もレベルが変わる。

 

同じ方向にかわれば関係は変わらないかもしれないけど、
別の方向にいっちゃうときもあるよね。

でも、いったん別の方角に行っちゃったとしても、

自分が強くなるかもしれないし、
相手がくじけて弱くなるかもしれない。

 

ここで「距離を置く」技術が必要なのかなぁと思います。

 

「距離を置く」っていっても、どのくらい距離をとればいいのか、自分が取りたい距離と相手が取りたい距離が違うかもしれないし、難しいところがあるんだけど、とりあえず私はC先生に言われた言葉

「あなたの人生だから、あなたのしたいようにしたらいい」

を基準に考えようとしています。

 

もうね、腑抜けで自堕落な生活だよ。「〇〇すべき」という言葉は私の辞書にはなくなった。
どんどんミュートするし、読みたいエントリしか読まない。

じゃないと、自分を守れないから。
ほんと申し訳ない。

へんだなと思ったら、ツイのDMで連絡ください。ミュートしてても届くから。
こうやって、日々不安定な感情とたたかってます。

 

安定したかったんだけどね、無理。
無理なら、不安定さとどう付き合うかしかないもんね。

 

勝手に引用してしまうけど、

このツイートを見て、また少し考え方を改めています。
「良い習慣をやめる覚悟」これが大事なんだな。どんどん腑抜けになるよ。(#^^#)

今日も強めの呟きをみたらどんどんミュートしちゃうからね。よろしくね。 
昨日も自分の過去記事にやられていた、不安定なkeroyonより。