おはようございます。keroyonです。
キャラ変えたといっても、変わらんなー。昨晩は酔っ払って、ツイで絡んですみません。
まず、お礼。
昨晩、読者さま100人を達成しました。
みなさまの応援のおかげでしかありません。本当にありがとうございます。
100人目の読者さまは、ダルさま(id:ideo2582)でした。
え?5/13からブログ初めて、5日間で32記事ですか?読者44人?すごいですね…。私の対極にいるお方のようです。
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今後ともよろしくお願いします。
さて。
今NHK Eテレの「100分で名著」では、「神谷恵美子の『生きがいについて』」を放送してます。
第2回まで放送済みだけど、想像より深かった。もっと味わいたくて、初めて「名著のテキスト」を買ってしまいました。
「生きがいについて」そのものを読みたいとも思ったのですが、解説の「若松英輔」氏にも興味があったので。詳しく知りたければはググってね。私はそこまで優しくない。言葉の深さを再認識したとだけ言っておこ。
テキストにしてよかったです。
- マーカー書き込み、折り曲げ自由
- 書籍を紹介する、プロの文章の形をかいまみることができた
から。
そんなことはどうでもいい。
神谷恵美子氏の内容と、若松英輔氏の深い読み込みで、珠玉の言葉が溢れるように詰まってる。
その珠玉たちをばらまいちゃう。
毎朝目がさめるとその目覚めるということがおそろしくてたまらない人があちこちにいる。(神谷)
生きがいを失った人々は「あちこちにいる」けれど、見えない存在であると神谷は書いています。(略)私たちの目に入らないという意味、そして、目には入っても、その人々が「生きがい」を失っている現実が理解されづらい、という意味です。(若松)
きき手がだれもいないとき、または苦しみを秘めておかなくてはならないとき、苦悩は表出の道を閉ざされて心の中で渦をまき、沸騰する。(神谷)
生きがいという言葉の使い方には、ふた通りある。「この子は私の生きがいです」等といいう場合のように生きがいの源泉、または対象となるものを指すときと、生きがいを感じている精神状態を意味する時と(略)。後の方はフランクルのいう「意味感」にちかい。これをここでは一応、「生きがい感」と呼ぶことにして、前の方の「生きがい」そのものと区別して行きたい(神谷)
神谷は「生きがい」は、目的にたどり着くことによって手に入れるようなものでなく、目的に向かって歩く道程そのものにあるとも語っています。(若松)
神谷は、フランクルの影響を受けつつ、この本を書いています。フランクルは、人生の意味は作り出すものである前に発見するものであり、人間とは、人生にいかに生きるのかを常に問われ続けている存在だと考えました。(若松)
30pほど読んだだけなのに。なんだこりゃ。フランクルがでてくるよ。ここには書いてないけど、「何か大きなものに生かされてる」って、老子みたいじゃない!
第2回の志樹逸馬までも行けてない。
濃すぎる。味わってると全然前に進まない…。
番組みてからでもこんなに発見があるなら焦らなくてもいい。続きを読むのがたのしみです。
ピンときたら、放送見てみてください。感想など聞かせてもらえたら、またkeroyonの元気が出そうです。よろしくね。
じゃ、またねー。
…カテゴリは「温故知新」にするかなぁ。前の100分は温故知新なのかぁ、不本意。