ただのメモ。

悩みとグチと苦労と不幸と幸せは、気持ちの問題。それぞれに相関はないんだよ。

空気になりたい。<荀子#1>

こんばんは、keroyonです。

なんだか昨日から突然、心に何も響かなくなってしまった。

インプットが足りないせいかもね。

 

そこで、知り合いからお借りした「礼記」の隣に載っていた「荀子」を突然、読み始める。

 

このまま何も書かないと、終わっちゃいそうなので、荀子から気になったところを美貌…じゃなくて、備忘メモ。

内容がぶっ飛んでます。ご容赦下さい。

 

非相篇 第五

2

人には三つの不届きな行為がある。幼少なのに年長者につかえることを喜ばず、非戦なのに高貴につかえることを喜ばず、愚かなのに賢者につかえることを喜ばない。(略) 

また、人には三つの困窮する行為がある。上位に降りながら下のものを愛することができず、下位におりながら好んで上の者を非難するのは、人として必窮する第一である。面と向かっては従順でなく(「従順で」じゃないのかな?by keroyon)、裏にまわると悪口を言うのは、人の必窮する第二である。知慮行動が浅薄で能力も人とかけ離れて劣るのに、仁人を推奨し知者を尊ぶことができないのは、人の必窮する第三である。

 

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談説する方法。荘重な態度でのぞみ、誠実な心で対処し、揺らぐことなく意見を堅持し、譬(たと)えを引いて理解させ、分別して諭旨を明らかにし、和気藹々(あいあい)のうちに伝え、その内容を貴重で精妙なものとする。このようであれば、言説はいつも受け入れられ、たとい満足されなくても人から貴ばれないことはない。

 

(略)発言が仁にかなっていないならば、口に出すよりだまっているほうがよいし、雄弁より訥弁の方がましである。(略)

 

下位におりながら、上のものを非難する…。無責任に言葉を発してはダメですな。おまけに、無責任な発言をするくらいなら、喋らない方がいいんだよ。>自戒。

 

余計書けなくなっちゃうじゃん。

 

荀子は、性悪論主義者で、「人間の本性を自然なままではなくて、本性と自制の訓練と教育と努力によって、秩序と礼義に従うようにすれば、正理平治」だそうで、孟子はもとより、荘子老子とも一線を画すもののよう。

 

今の時代には合わないかもしれないけど、無責任発言に信頼が集まらないのは今も昔も変わらず…。

礼知らずな私の心には、刃のように突き刺さります(>_<)。

 

 

なんだかね、
存在を自由に消せたらいいのにね。
空気になりたいな。

Keroyon

 

引用:竹内照夫 訳(礼記)、平凡社「中国古典文学全集3 論語 孟子 荀子 礼記(抄)」