おはようございます、keroyonです。
ネッツとの距離感について数週間ボンヤリ考えていましたが、今朝いろいろ考えさせられる出来事があり、忘却の彼方に行っちゃう前にと、慌てて記録してます。
私、これに本当に共感してた。
「美味しいと言うのは義務」という主張に条件反射のように「義務なわけない」と反論する人を見て思ったこと。 - 主夫の日々
ブコメは非表示になってたから見えないけど、私はこんなコメントをした。
録画予約してある私の元気玉「ウワサの保護者会 シングルファーザー奮闘!」を思い出した。経験からの吐露は共感できる。未経験の方とのブコメとはステージが違いすぎてて、哀しさ100倍…。
ここに書いた「ウワサの保護者会」の番組を見た時に、本当に共感した。そしてこの中のシングルファーザー方(死別された方も多かった)は、「奥さんを失って初めて(家事育児の)苦労が分かった」ようなことを言われていて、自分の不満感はその環境に置かれた人しかわからないのかなと。
だから、私の奥底の思いは、私がいき終わってから感じてもらえたらいいと思ってるわけだけど、そんな私にはこの主夫さまのエントリはとっても共感できるものだった。
料理嫌いの私だからかな。誰からも評価されない食事を提供し続けるのは修行です…。気を使って「外食」を希望してくれるのかもしれないけどね。みんなそれぞれ食べたいものが異なるし主張を曲げない。一人一人メニューを変えればいいのかもしれないけどね…。
そして炎上。
確かにアクセス集めたらお小遣いが増えそうなブログの作りだし、正直そういうところも若干あるんかなと感じたところも。が、ブコメやら批評エントリやらを見てると、それ以上にこわいなぁ。
人には様々な心のささくれや理解の許容範囲があって、ささくれに触れると共感したり失望したりするのかな。理解の範囲を超えるとまったく理解できない時もある(私の場合)。そしてそのささくれにどう触れるか、触れるとどうなるかなんて他人のことだから想像を超えることも…。
いち一般人が自由に発言でき、そこには老若男女、リアルの上下関係や名声などとは無関係にアクセスできるところは、ネッツの利点であることには間違いないと思っていて。
どこが危ない線なんだろう。自分が注意しないといけない線を考えてみた。
- 自由にいろいろな情報に触れられる
- 触れた情報から何かを感じる
- 自分の思いを発信する
- 相手に理解してほしいと主張する
- 相手を変えたいと願う
- 相手が間違ってると攻撃する
3までは大丈夫なんじゃないだろうか。4あたりから微妙な線になってくるような気がしてます。
それから、「人にはいろいろな心のささくれや理解の範囲がある」ってことを許容してるかどうかも基本にあるような気がしてます。
自戒しかない…。
先日もブコメが人気コメントに上がってきたりして、ウハウハしちゃってる自分にハッとしたりしてたのです。3時間に1回くらい自戒したいなと思いました。
自分とは異なる意見から離れたい時は、距離を置ける距離感もネッツのいいところですよね。ただ離れっぱなしは一方へ走りがちになるので、気をつけないとと思っています。
起草のきっかけをいただいたのはこちらの記事。
Jacob's Ladder - afurikamaimaiのブログ
ありがとございます。
引用エントリの主夫さまには、「ウワサの保護者会」を見た時以来の感動だった。Nで叩かれず?に主夫さまが叩かれるのは、他のいろいろな要因があるのかな。私は大筋応援しています。
それから当該エントリへのブクマカの方々、ツイでお世話になっているさびさんからもアイディアをいただきました。ありがとうございました。
keroyon