ただのメモ。

悩みとグチと苦労と不幸と幸せは、気持ちの問題。それぞれに相関はないんだよ。

「ブログかけブログかけ」というけれど。<黒>

おはようございます、keroyonです。
ここんところ、自分のこころがささくれてんのか、いろいろ刺さる。
今日は黒いので、表現がきついかもしれません。気分を害したら申し訳ない。
…先に謝っておきます…。

このごろ「人生に煮詰まったら?ブログかけ(意訳)」という主張を散見する。
けれど…。

 

そう書いてる人は、それなりにブログが成功している人のように見える。(偏見です)
PVいくらとか収益がいくらとかの指標はよくわからんけど、少なくとも、

文章を書く能力に恵まれてて、書くことで人生の価値を見出してる人

であることは確か。

 

そんな人ばっかりじゃない。

確かに、学校の勉強では評価されず、社会性にトラブルを抱えた人は、文字で表現することが向いているとは思う。

が、ブログにしても、文章力や内容の選択、構成力、見栄え等、それなりの能力が必要な気がしてて。

だから、「ブログを書いてみるのもいい」とは思うが、「ブログを書くべきだ」とまで言い切るのはどうかと。

 

ブログ書くのに疲れてる人もいるし、人のブログを読めないときもある(←私)。
ブログの世界だって向き不向きがある。
ああ強く主張されると、弱っちい私としては辛いものがある。

 

向いてる方は書けばいいし、疲れる方は疲れたら休んで、気が向いたら更新するくらいでもいいんじゃない?

所詮、「人に言われたのでやる」くらいなら大したことない。
…私の目標は、「人の意見は聞くが、やるかどうかは自己判断」。

 

出版を目指してるなら話は違う。
特に好きなことを仕事にしようとするなら、覚悟きめて血を吐くような努力をしてでも、しがみつく必要があると思う。
だって、シロートでさえ物書きの真似ができるんだもの。

 

こんなヤツもいるんだと、ブログ書くことに疲れた方の応援になればなぁと思って書きました。

合わない人達から距離を取れるのもネッツのいい所。
深い関係を築けそうな妄想を抱くけど、所詮一方通行の危ない関係性。
ネッツの関係性の深みにはまってはいけないと、毎日自戒。

 

所詮、私は孤独。それでいいのだよ。世界が狭くて認知がずれてるし。
関係性もほどほどが一番。

 

twitterでも興味のない呟きばかりだと、勝手にリムってますので、どうぞご自由にリムバ?してくださいな。

 人生、先なんてどうでもいい。今を生ききるのみ。

 

keroyon