ただのメモ。

悩みとグチと苦労と不幸と幸せは、気持ちの問題。それぞれに相関はないんだよ。

ブログの縁も多生の縁。ネットのご縁とは。<自戒>

一年程のブログ生活、この短い間にもいろんなご縁とお別れがあってね。

どの出会いも、いいこと悪いこといろいろあって、どの出来事も自分の経験のタネになっています。本当にありがたいことです。

 

まさに、ブログの縁も多生の縁。

○袖振り合うも多生の縁
「多少」ではなく「多生(俗に「他生」とも)」で、「袖振り合うも多生の縁」が正しい。「多生」は仏教語で「前世」の意味。袖が触れ合うようなちょっとした出会いも、前世からの因縁によって起きるという意。「多少」では、「ちょっとした(少しの・少々の)縁」ということになる。なお「他生」も仏教語で、前世と来世の意。「袖摺り合うも多生の縁」とも。

袖振り合うも多少の縁(間違いやすいことば)(ソデフリアウモタショウノエン)とは - コトバンク より(180928引用)

 

「袖振り合うも多生の縁」
この言葉、好き。

前世からの因縁。映画「君の名は」で少し安っぽい!?(すみません)表現になってしまった…。少しだけのご縁や、悪影響の縁もあるかもしれない。でもそれら全て自分の経験値になってる気がして。

リアルと同じく、ブログの縁もそういう意味では同じだなぁと思う。

 

ネット上のお付き合いって不思議。


私は弱っちいから、ブログではすぐ読者登録外したり、ツイならミュートしたりフォロー外したりする。なので基本的に似た人が集まることになるんだけど、

この似た人っていうのもクセモノで、飽くまで自分基準。

だから「自分は似てる!」と思ってても、相手は違うと思ってるかも。

ネットの縁って、一見深そうに見えるんだけど、実は蜘蛛の糸のように細いつながりだと思い知らされること多数。一歩踏み誤ると切れちゃう細い糸。

 

そうやって距離感間違えて、お別れになったAさん。たまにブログやツイをこっそり覗きに行っては、楽しそうにされてるのをみてホッとします。

 

Bさんは初期によくしていただいた方で、「細い糸」だと知るきっかけを。当時、Aさん程踏み込まなかったおかげで大きく切れたわけではないけど、ブログは最近お休みしてるようで。お元気でしょうか。

 

Cさん。ブログ更新が滞ってるなと思っていたら全くネット上で見なくなってしまいました。リアルが忙しいのでしょうか?ネットでトラブルがあったのでしょうか?優しい雰囲気に憧れていました。ツイのアカウントはあるようですけど、今はどうされてるのかなぁ。

 

Dさん、突然消えてしまうと動揺します。こういう消え方もあるんですね…。私が何かしたのかと思い、右往左往してました。…バカですね…。
が、本音はわかりません。隠したら隠し通せるネット上での細いお付き合いですから…。

 

ネット依存のkeroyon、わかってはいるんですけど、蜘蛛の糸のような細っこい縁にしがみついてる太っちょなカエルなのです。

 

やっぱり基本は孤独。

なのだ。

 

Keroyon

 

…読んでくださる方への感謝が足りないです。本当にすみません。駄文にお付き合いくださり、感謝の言葉もありません。いつもありがとうございます🍀🍀🍀