「生きる意味」
ここ数日考えたことを記録しておきたいのです。
最後まで行かずに終わっちゃったらごめんなさい…(記憶が持たなくてw←すでに薄い)
「生きる意味」思考の変化の流れ
この数日「生きる意味」について、長いこと「生きることに意味はない」と思っていたことが揺らいだので、その記録をここに。
15年あまり「生きることに意味はない」と考えていた理由
あの頃の思考を振り返る。
あのときご縁があった本「A.スマナサーラ著 現訳法句経(ダンマパダ)一日一悟」
「生きることに目的など存在しない」
最高の利益は健康である (1)
最高の財産は充実感である (2)
最高の親類は信頼できる人である (3)
最高の幸福は涅槃である (4)
p164です。この(4)の解説の中に、
最高の幸福とはなにか。ブッダは「涅槃である」と述べられています。
ブッダに言わせれば、そもそも生きることに目的など存在しないのです。人間が何を目的としていても、それは「生きる目的」ではなく、「生きているからやっていること」にすぎない。それが本当の答えだというのです。
生きているから勉強をする、生きているからご飯を食べる、生きているから旅をする…人間はそのひとなりに人生の目的(最高の幸福)を設定して夢を追いかけますが、それが達成できたとしても別にどうってことありません。もちろん達成できなくてもなんてことはないのです。いずれにしても自分は相変わらず生き続けていて、生きている限り幸せになりたくて必ずなにかをやっているからです。
(中略)
しかし「涅槃」を目指せと言われてもなんのことやら…」と困惑される方も多いかもしれません。それならば「最高の幸福はこころを清らかにすることである」と受け取って実践してみてください。
生きることに目的はない。生きることに意味はない。
生きることが目的であり、意味があることで、目的のない人生はだめだとか、生きてる意味が見いだせないなんて、生きてる価値なしとか思わなくていいのかなぁ。
確かに、
「外にいるセミやクモ、石垣島の牛や与那国の東崎の馬たちは意味とか考えずに生きてるんだろうなぁ」と、先週までは何も疑わずに考えていました。
そう、先週までは。
やっぱり長くなりそうなので、この続きはまた今度。
こんな不定期更新のぐだブログにお立ち寄りくださる方々に幸あれ~🍀🍀🍀
keroyon
おまけ#1
(2)の解説の中に
例えば毎月の給与明細をみて「自分にはたりないなぁ」と思ったら充実感は持てません。金額にはわずかでも自分が得たものに「ああ、よかった」という気持ちがもてるならば、その気持こそが財産です。
私達が今入手できる範囲のものから充実感を得ていくこと。それが「生きる技」なのです。いくらお金があっても「充実感を得る技」が身につかない限り一生貧乏な気分で生きていかねばなりません。
あぁ、コレ。「私の足りないところだなぁ」と思ったので、メモ。
おまけ#2
この本検索したら、Amazon曰く「最後にこの商品を購入したのは2006/5/18です」だそうです。私全く覚えていないのに。15年も前の記録も残っててすごいなぁ。感謝!
「アレ?」と思った出来事
(後日UP予定。すんません)
たまたまご縁があった本の「生きる意味」
(後日UP予定。すんません)
結局
(後日UP予定。すんません)
今週のお題「読書の秋」
お題「今日のよかった(^^)」 #279