今日、たまたま見つけたyoutube。
先日、アフガニスタンで亡くなられた中村哲医師のドキュメンタリーです。2003年から用水路工事を始め(始めると決めてから治水技術の勉強をしたそうなので、構想はもっと前から?)、15年余り。25kmの水路を完成させ、最終地点の砂漠に村をつくり、大枠が見えてきたところでの残念な事件。
この映像は2010年のものですが、既にここまでできていたんですね。きっと中村先生の理念は既に現地の人達に浸透していて、自走できるところに来ているような気がして、ホッとしました。
私の心に残ったところだけを書き出します。ぜひ一度、みてください。
映像はこちら。
「普通の人が普通に暮らすことを支援」
この映像シリーズの4本目、養老孟司氏との対談の中で
アフガンの人たちを支援していること、戦争に対して批判的な立場を取ることで、政治的に反米だと捉えられているフシがあるよう
と、話されていた。
その中で、中村先生は「普通の人が普通に暮らすことを支援したいのだ」と言う。普通の人が普通に暮らすのに、政治的立場は別次元の問題だと。
本当にそう思います。信じられない人は、このyoutubeを見てほしいです。
治水工事に携わった人たち
中村先生は、
- アフガンの人たちがメンテナンスするために
- 安価な工法で
- 現地にある資材で
- 江戸時代の日本の用水技術を使って
鉄線と石とツルハシで、用水路をつくる。
その計画をきいて、アフガンの人たちがほうぼうから工事に参加するために集まったそうです。元タリバン兵も元アメリカ軍に協力した人も、パシュトゥーン人もタジク人も。立場や民族を超えて、協力し、共に笑い、苦労を分かち合い、用水路を作ってた。
「この工事にはこの国の未来がかかってるんだ。」
そして、日当も中村医師のNPOへの寄付から支払われる。
働いてる最中も、日当をもらうときも、希望に溢れた現地の人の笑顔が本当にステキ。
仕組みを考える
この一連の映像をみて、「困りごとを解決しようとすると、そこに仕事が生まれるんだな」と。
ここの困りごとは、「飢え」
そもそもアフガンの人はほぼ100%農民。
→気候変動により、年中あった山の雪が、消えるようになり
→川が干上がり
→砂漠化。
→農業が営めなくなり、100%だった自給率が60%に落ち込む。
→40%の人が職を失い、出稼ぎで家族が離散、傭兵になるもの、飢えるもの、…。
この状況を改善するのは、
- 用水路を彼らが作り、
- 彼らの手でメンテナンスできるようにし、
- 農業ができるようにすること。
- それが軌道にのれば、彼ら自身で用水路を2本3本と建設していくだろう。
大雑把にまとめると、たったの4行…w。
医者である中村先生が用水路の設計をして、工法を検討し、現地の人を動かしていくなんて、並大抵の努力ではないと思います。
そして、用水路ができたらできたで、用水路の管理も、大変。維持管理していかないとせっかく15年かけて作ったものも15年後には元の木阿弥に。
白川郷の屋根ふきの「結」や、
野沢温泉の「野沢組」のようなものを想像し、
野沢温泉村の湯仲間と野沢組│22号 温泉の高揚:機関誌『水の文化』│ミツカン 水の文化センター
今の日本では消えつつある、あるものを維持するだけでも大変な共同管理を、これから0から築きあげていくのは、維持するよりももっと大変だと思う。
それをするために、用水路の末端の砂漠に村を開墾し、用水路の主要なメンバーに入植してもらう。彼らにはこの水が命綱であり、この水を守るためには必ず用水路をメンテしていってくれるだろうと、そこまで考えていたそうです。
中村先生が日本で調べた江戸時代の治水技術を、アフガンの人が習得し、それを子に教え、引き継がれ、命をつないでいく。本当に素晴らしいと感じました。
本当にフラットな方
この映像を見て、これほどの仕事してきた中村先生に対して、「反米」だのなんなの言う方は、そもそも乗ってる土俵が違うのでしょう。
困りごとを埋める。困っている人たちのために他人の自分がどれだけ努力できるのか。
これこそ究極の「仕事」だな、と感じました。
keroyon