ただのメモ。

悩みとグチと苦労と不幸と幸せは、気持ちの問題。それぞれに相関はないんだよ。

「努力」と「幸せ感」は、相関は小さいのだと気がつきました。

ここ最近、私の石がえらいところまで飛んでいき、大変なことになってしまい、
本当にお騒がせして申し訳ありません。

当事者の方はさぞ私がにくいことでしょう。おそらく私が首謀者で一番の悪者と思われていることと思います。

こちらを訪れることはないとは思いますが、一言だけ。

  • 私は「内容を読まないブクマ」に関する問題提起をしただけです。
  • 一日に何回ブクマしようが、それをBOTでしようが、大勢でしようが、私には関係のないことです。

等といっても、相互でのメールでさえ全くお話が通じませんでしたから、今回も通じないことでしょう。

好きにしてください。私も距離をおいて好きにさせていただきます。
今回は私も本当に勉強になりました。ありがとうございました。

 

そしてこの話は金輪際おしまい。


気を取り直して。

 

***

 

昨日リアルでお会いした方と「幸せ感の少なさ」について話をしていました。

その方がおっしゃるには、日本人が一番「幸せ感から程遠い国民」じゃないか。他の国では日本より貧しくても幸せ感を持って行きている人がたくさんいる。と。

 

そんな話を伺いながら、私も気が付きました。
「努力の向こう側に幸せがある」と信じ込んでいたこと。

 

そんなことを考えていたら…、
また召喚してしまおう。まけもけ先生です。

 

最近、やたらと耳にする「自己肯定感」。悪いこっちゃないと思うのですが、何がなんでも前向きに!人生に成長を!明るい未来に向けて!みたいなのが多いような気がしますし、別に何がなんでも前向きにならんでもええし、成長なんてせんでもええし、未来なんて誰もわかりません。

 

自分を否定するのも、それはそれで仕方がないし、自分を否定することに罪悪感を感じるのが一番よくない。はっきり言うと悪い。

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 ハッとしました。

  1. 自分を否定して、
  2. 自分を追い込んで努力することで、
  3. 幸せになろうとしてたのかも?

3まで行き着こうとは、意識下では思ってないけど、少なくとも、「1と2をしないとその先はない」と無意識に考えていたような気がしました。

 

そして今朝、この記事を読んで、そんな思想が裏打ちされたような気がして怖くなりました。 

「弱者」を政治利用して税金を食い物にする人々 – アゴラ

姥捨て山希望なのかな。「反社会的組織」の意味がアホな私にはよくわからないですが。

2019/08/02 06:28

この記事は今はなき「新潮45」にも執筆されていた、すこし極端な方なので割り引いて読んで丁度いいと思うのですが、それでももやるのです。

 

介助をうけなくちゃ生きていかれない方の介助費用の問題です。現状は…

  1. 障碍者は希望して障碍者になったわけではない。けれども、
  2. 日常生活の介助費用は税金で面倒みます。
  3. 勤務時間の介助費用は会社で面倒見なさいよ。

となっているようで。わざわざお金かかる(3)のに、雇用しようという雇用者、ほとんどいないよね。(ももはなさんは除く)。

 

ざっくり感じるのは、

3があるから、「仕事しにくい状況」がある。

→仕事ができないから、収入少ない。だから仕方ないから税金で介助してやるわ。

→収入多いなら、(勤務時間中の介護費用は)自分で払え。

 

こちらの意見もありましたね。もう今はないのかな。
※すくなくともあの方たちは、障碍者代表として国会に乗り込むことに決めたので、高額の報酬を自分のためだけに使うことはないと思いますが…。

 

必要最低限の生活が保証されているのであれば、何をしてても生命を維持するための費用は補助が必要なんじゃないのかな。それがないと死んじゃうわけでしょ?
勤務中であってもプライベートであってもトイレはいかなきゃいけないし。

動くとお金かかるから静かにしてなさいとか、
税金の補助うけてるから我慢しなさいとか…。

どこまで許されるか線引が難しいけれど、そもそも我慢を他人に強いるところで、既に幸せからは遠ざかってる。言われた人も言った人も。

 

そう思うのです。

そして、さみしいな。と思った次第です。
こんなこと言ってるから、日本人は永遠に幸せになれない気がしてる。

 

私は何していいかわからないから、納税できてない。
そのくせ大きな口を叩いてすみません。

 

みながそれぞれ幸せになれたらいいのに🍀。

 

keroyon