ただのメモ。

悩みとグチと苦労と不幸と幸せは、気持ちの問題。それぞれに相関はないんだよ。

眺めて掴んで食べてみて。妥協しないで手離すことも大切!?

最近、手あたり次第、いろいろなモノをすくってました(笑)。

 

***

昨日「不運な人」の記事を書きました。

「不運な人」とは。 - keroyonの『続・日々精進』日記

 

こちらに、ももはな(id:however-down)さんからコメントいただきまして。

時間は未来から過去へ流れてます。
だから、前から流れて来たモノが自分にとって良い物がを見極める目が必要です。

あれ…? ホリエモンのこれと同じだ。

ぼくの頭のなかにあるのは、一本の大きな「川」だ。(略)下流に向かってただ流されるしかないという点では、みんな一緒である。

 だからぼくは、ムダな努力はしない。流されるがままだ。 (略)

ときどき川のどこからか「果物」がこちらに流れてくる。手を伸ばしてかじってみると、とてつもなくうまい。そうやって次々に視界に入ってきた「果物」に夢中になっているのが、ぼくの人生だ。

果実を見逃すカエル。「堀江貴文著 時間革命」読書感想その2 - keroyonの『続・日々精進』日記

 

***

目を見開いてみると、いろんなところにいろいろなモノが流れてるのに気づく。
今までは「なるべくたくさんの果実を拾おう、拾って吟味しよう」と思ってた。

でもね、「見逃す果実」「手放す果実」が、あってもいいんだと、実感。

 

先日「やめる」ときめたことがある。

オケ、やめることにしました。 - keroyonの『続・日々精進』日記


長年大切に育ててきた果実。とはいえ、私にとって今は重荷でしかない古い果実。
打算で動くわけじゃないけど、疲れちゃったんですよね。

「やめる」と宣言した今では、清々しささえある。本当に一歩を踏み出してよかった。

 

***

 

私、ものさしが壊れてるから!?流れてきた果実が自分にとって良いモノか判断できるか心配だけれど、だめだったらすぐ離せばいいよね。

自分の手が2本しかないのに、おいしくない果実に固執していたら、本当においしい果実が流れてきても拾えない。そんなことを、この年になってはじめて知りました…トホホ。

 

若い時分とは異なり、睡眠削ると脳みそ使い物にならないし、体力も減ってきて、掴める果実数がほんとに少ないのよ。効率良く実のある果実を拾っていかないとな、と思う今日この頃です。

 

そうやってなんとか余裕を生み出して、集中できるようにしていきたい。でないと、すべてが中途半端になってしまう。

 

野望だけはある。ほかは何もない(爆)!

 

keroyon