ただのメモ。

悩みとグチと苦労と不幸と幸せは、気持ちの問題。それぞれに相関はないんだよ。

ピエール瀧さんと悲愴とお酒と。つれづれなるままに。

こんばんは、keroyonです。
もう日が変わっちゃう…。とりあえずいろいろ思い出したから書く。

 

ピエール瀧さんの事件については、批判的な意見も多くって、いろいろ思うところがあるんですけど…、
私がいろいろなところでお世話になっている、りとさんのブログにこんなブコメをしました。

ピエール瀧さんが逮捕されてしまった - りとブログ

「普通」でないから人を惹きつける。その人らに「普通」の価値観や法律を当てはめることが…。理解できないところに自分の能力を超えた感動を得られるような気がしてます。見せしめの感…(´-`).。oO

2019/03/16 06:29

 

さて、この話題はすこし脇におきまして。


先日、ひょんなところからクラシックの先生のような方とご縁があり、私の演奏した音源を聞いて頂く機会があって。
とりあえず、一番がんばったこの↓悲愴の音源を聞いていただきました。

チャイコフスキーさんと昇天。 - keroyonの『精進なんてやーめた』日記

心と行動と外見と。 - keroyonの『精進なんてやーめた』日記

自分と似てる人、似てない人…。 - keroyonの『精進なんてやーめた』日記

「悲愴」の4楽章の感想メモ - keroyonの『精進なんてやーめた』日記

悲愴に関するエントリはこんなにある…。

 

がんばっただけあってお褒めいただけたんですけど、その時のコメントに「演奏が上手いのは当たり前で、その先の…」といただいて。

 

悲愴はね、クラシカルな部類だからある程度がんばったら音は取れるんですよね。どうにもならなかったのは、先日の「英雄の生涯」。
これはね、私の技術ではホントどうにもならなかった。だからこれは人には聞かせられないよ…。ドヴォルザークの弦楽セレナーデの時もアップアップ(ほぼ沈んでいました…)。私の演奏会のほとんどが「演奏が上手い」ところまでいけてない…w。


ここで話題にしたいのは、曲がどうのこうのではなくて、人それぞれ能力に差があるってこと。私はシロートだからできなくて…とか言ってるけど、音大生やプロでも同じだと思うんです、回りと比べたら。上を見ればキリがない。
コレを言うと「怠けてる」という強い方が必ずいるけれど、芸術や美術、エンタメの世界もそうだと思うのですが、才能って経験で積めるものだけじゃないような気がしていて。
もちろん努力で報われる領域もあると思うのです。でもそれだけじゃない生まれついたものみたいなものの差もある。センスみたいなもの?

 

プロの演奏家の方を近くでみていると、若くて才能溢れた方もいるけれど、経験豊富でも「おやっ」と思う方もいる。シロートの私が何様様に大口叩いてるけど、後ろで弾いていても、やはり上手い人は余裕があって、こちらの様子を伺いながらソロを弾いてくださる。だから本当にやりやすい。そして選ばれていくんだよなぁ…。

そんな厳しい世界に身をおいていたとしたら。

もちろん厳しい世界に身をおいている人すべてが薬物をしてるわけではないし、違法薬物を使うことを肯定するわけじゃない。ただ、自分だってなにかのはずみで間違えちゃうこともあるかもしれないし、あれだけ制裁受けてるんだから、もうそっとしておいたらどう?と思った次第。

 

おそらく凡人には理解できない領域で、ああいう方たちは戦っているのだよ。きっと。

 

「そんなことしてたなんて~」って言う人は一生絶対はまらないんだろうか。お酒で嫌なことを忘れようとしたことはないんだろうか。

 

こんな甘ちゃんから、うだつがあがらないのかもしれません。
そんなカエルがココにいます。

 

keroyon