ただのメモ。

悩みとグチと苦労と不幸と幸せは、気持ちの問題。それぞれに相関はないんだよ。

心が溺れているときに整理したいこと。

自己管理が出来ず、心が溺れて窒息しそうなkeroyonです。今日は脳内整理のために、公共のネット空間を使うことをお許しください…。

 

あぁ、黒くもなれない…。

黒くなれたら、そのエネルギーで先に進めるから、それはそれでいいんだけど、黒を通り過ぎて透明になって。その先に進めない。

完全にエネルギー切れ。どうやらキャパオーバーの様相…。いろいろ受けすぎててこうなるとはわかっていた。わかっていたけど断れなかった。←完全に趣味系で。アホです。

いや、違う。
しなければいけないことから逃げてるだけ。
しなければいけないことがたくさんあるのに、こなすことに意味がないと、それっぽい口実をつけて逃げてるだけ。

先日こんなこと言われた。

「あなたは自分がASとかコミュ障とか言うけど、本当のコミュ障はもっと話せないでしょ。自分の都合のいい理由をつけて逃げてるだけだ」

そうかもしれない。
何かで聞いた「重度の人はもちろん大変だけど、軽度の人は軽度だからといって『よい』わけではない。理解されないことによる辛さがある」っていう言葉を信じてきたけど、やはり自分勝手だったのかな。

 

とにかく目の前

そんなこと言ってても仕方ない。
とにかく目の前のタスクをこなす。そしたらきっと心は落ち着く。…が、エネルギー切れで体が動かない。本当に使い物にならない小さい器…w。

 

keroyon的対処法

今までキャパオーバーになった時の、対処の仕方を思い出そう。

  • タスクに対する完成度の目標を下げる(既に目標値30点だから10点?10点満点かw)
  • そのタスクの意味を思い出す、すり替える!(演奏するのが楽しい→人間観察w)
  •  タスクの項目を物理的に減らす
  • 締め切りが近くて過負荷になってるなら、終わりは近いと考える
  • 忙しいのはたまたま今だけ、たまたま重なっただけ。終わった後の「することのない虚しさ」を考える。(ほどほどあるのが一番良いけどそんな風になかなかならない)

 

目の前のことに追われて、小さく雑多な「しなければならないこと」に目が配れないのも、心が溺れている原因かな。こういうことって、フタ開けたら「大したことなかったじゃん」ってなるのがオチなんだけど、ね。

そしてすり替えたことに対する叱責の念もおそらく押し寄せる。もうそこは来るものだと予測するしかw。

 

反応的な言動に注意

私はこういう時に「反応的な言動」を、人にむける確率が高いので注意しないと。
「反応的な言動」っていう言葉を昨日知りました。目から鱗でした。まさに今までの私の人生の過ちはこれ…。(勝手に言及申し訳ありません)

 「反応的」とは、「主体的」の逆であり、主体性を発揮しようとしないで、起こったこと、さまざまなその人への刺激、問題、事件、出来事に対し、そのまま感情的に反応してしまうことです。その反応には、何の論理的、倫理的、ビジョン的判断も介在しません。ただ瞬間的・感情的に反応しているだけの状態であり、その反応に対して自己が責任を負う準備はできていません。

参照:

第一の習慣:主体性を発揮する【主体と反応】|7つの習慣 セルフ・スタディ|フランクリン・プランナー・ジャパン株式会社

「反応的」な言動をとる発達障害児 - にののシステム科学講座

引用の引用w。くれぐれも「反応的な言動」には気をつけたい。

 

結論←どんな?

あーあ、覚悟できてるような気になってただけの、まったく覚悟なんて言葉すらないちっぽけで弱いカエル。だから仕事も中途半端なんだろな。足踏みする意味あるんだろうか←深みにはまる系の思考だ。書いてて恥ずかしくなってきた。こんなエントリUPしていいのかな

 

ブログに1時間もかけるなら他のことしろー!(自爆)

 

keroyon