ただのメモ。

悩みとグチと苦労と不幸と幸せは、気持ちの問題。それぞれに相関はないんだよ。

「私を生きたい。」

こんばんは、keroyonです。
先日、お話し会がありました。

私がテンパって降りてしまったお話し会。何もお手伝いはできなかったけれど、本番だけは参加したくて、のこのこ行ってきました。

 

今、心の中がとてもごたごたしていて、このお話し会も出番をおろしてもらって結果的にはよかった。とても練習に集中できなかっただろうから。

「会を見る」のと「会を催す」のとでは、見える労力が全然違う。シロートのお話し会ですら、出し物の検討、構成、練習はもとより、会場準備、舞台設営から当日の段取り、時間配分、細かい細かい打ち合わせが必要になる。

 最後のリハを見ながら、「見てくれる人の心を動かすためには、人知れず努力が大切なんだなぁ」と。

そして本番。子どもたちに混じって一緒にお話を楽しんだり、写真を撮ったりした。子どもたちは本当に純粋にお話を楽しんでいたし、そんな子どもたちの素直さが自分の心を洗ってくれてた。

 

私、周りからいろいろ言われて、自分でもどっち向いて足踏みすればいいのかわかんなくなってたんだけど、そんな中ツイのTLでこんな文章を見つけた。

「私を生きたい。」

自分で考え、自分の手で選んだ、
自分の人生を歩みたい。
この意志だけは、どんな苦境も決して奪えなかった。

 (略)

人の「品」は、
自分を生きることを諦めないところから来るように思う。

みんながいつも自分らしくあれるわけではない。
不遇のなか役割を演じ、自分を偽って生き延びねばならない時期もある。

それでも、いつか自分を生きてやる!

という意志を手放さない人には品がある。
高貴で綺麗な顔をしている。

ほぼ日刊イトイ新聞 - おとなの小論文教室。

これだった、私のしたいこと。周りが何と言おうと自分の道を歩く。

2012-09-19の過去記事なんだけど、このタイミングで出会えたご縁…。忘れないようにここにしたためて、定期的に振り返りたい。

 

ちっちゃな決意。
keroyon