昨日も、いろいろ考えさせられる出会いがありました…。
お二人を召喚させていただきます。まず、ももはなさん。
ももはなさんのこのエントリを読んで、
殆どの人々が
「生きづらさ」を堪えて生きてる
生きづらいのに言葉にも出さず…
黙々と歩む人々は、その辺りに落ちて転がっている「些細な事」を拾って楽しむ。
そうですね。
足元だけ見て、足踏みして。踏みそうになった野に咲く花や、ダンゴムシをみてほっとする。そしてふと我に返ると、空虚が襲う。どちらに向いたらいいのか、悩む。
どちらに向こうが、足踏みするしかないのに。
きったんさん。
壮絶です…。
最近、うちの職場に出入りしている、年金受給間近の元社長さん、遠方に住んでいるので事務所の近くに引っ越したいようだけど、年齢のためかなかなか物件が借りられないらしい。
そういう話を聞いていたから、身につまされた。
こういう理由があるんだ。
その方は今は夫婦ご健在だから、しばらくは孤独ではないけれども、10年たてばわからない。事故物件を抱えた管理会社の損失を考えると、貸し渋る気持ちも理解できる…。
だからこそ、息子さんを頼ったりする必要があるんだな。
縁が切れてた親の面倒がめんどうだ、なんて話も耳にするけれども、このような話を聞くと、うすくても縁は大切にしないと。
面倒かもしれないけれど、できる範囲でフォローした方がいいんだよ。
そしてそれは、「情けは人のためならず」で、きっと自分に返ってくる。
縁って、もらった人に返すだけじゃなくて、上からいただいて下に返すような、そんな繋がりの方が多いのではないでしょうか…。
ももはなさんが言われる、
正しく求める者には、必ず助けがやって来る。
後から、受けた「助けの対価」を何らかの事で支払えば……だけど。
「正しい求め方」って、全くわからないけれど、私にはできることをするしかないのだ。
さあ、今日は夜の合奏のために楽器を練習しよう。そして演奏会プログラム用のインタビュー内容を考えよう。
迷走してるけど、求められてることは返したい。
keroyon