ただのメモ。

悩みとグチと苦労と不幸と幸せは、気持ちの問題。それぞれに相関はないんだよ。

「解決は所詮あちらから来る」そして、できる努力をする。<「こころの処方箋」より。その4>

おはよございます、keroyonです。

昨日は、読者が600人近くもいるカメキチさんに「愛読している…」と言及していただき、天にも舞い上がる気持ちでした。本当にありがとうございます。

kame710.hatenablog.com

 

そしてリアルでもいろいろと見舞われて、「本気を出さんとなー」という今日。
そんな状況で私の心にひびいた、敬愛する河合隼雄大先生の「こころの処方箋」からふた節。

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p154「37.一人でも二人、二人でも一人で生きるつもり」

子どもがいないので老後のことを随分と心配しておられる方がある。ところが一方では子どもがいるのだが、なんのかのと言って親を老人ホームに入れてしまって、面会にもやってこない。(略)こんなことなら「いっそのこと子どもなどいない方が良かった」(略)と言うことになる。夫婦の間もそうである。夫婦でも年をとってから相手がいてくれて良かったと思っている人と、「この相手さえいなかったら」と思っている人とある。

 

このような夫婦で、片方が亡くなられ、残された方はそれ以後元気で楽しく…と思っていたら、その方も相次いで亡くなられるような例が割にある。「いない方がいい」と思っている相手に、実のところ依存していることが大きかったのである。(略)

 

一人でも落ち着いて楽しく過ごしている人もある。もっとも一人で楽しくといっても、一人だから自由でいいとか、好きでもない人と一緒にいる人の気持ちがわからないとか、なんのかのと言いながら、一人で楽しみを追いかけ回したり、一人の楽しさを見せびらかして生きているような人もあるが、そんなのは偽物であることが多い。本当に楽しい人はもう少し静かである。一人でも結構楽しいのだから、なんのかのと他人を煩わす必要がない。一人の楽しさを多くの人々に見せつけている人は、<ほんとうの一人になった時>それに見合うだけの税金として、相当な涙を流しておられると考えていいだろう。それもまた一つの生き方なので、別に良し悪しは論じることもないが、ただ羨ましがる必要のないことは事実である。(略)

 

二人で生きている人は、一人でも生きられる強さを前提として、二人で生きていくことが必要である。無意識的よりかかりや、抱き込みが強くなりすぎると、お互いの自由をあまりにも奪ってしまい、たまらなくなってくるのである。このことは別に依存が悪いといっているのではない。人間は誰かにある程度依存しないと生きて行けないし、依存したり、されたりするのも楽しみの一つであるとも言える。問題は、全く無意識的に一人立ちの力を失ってしまっているところにある。一人でも生きて行ける人間が二人で生き、お互いに助け合って行くところに楽しみが見出せるものなのである。

※漢字・送り仮名・改行など改変しています。

 

一人でも生きていける「何か」は欲しいです。「今」に甘えてました。そしてブログやツイッターをはじめて一年半、身の丈も知りました。私には大した能力がないので、できることは限られてます。周りの人に協力してもらってなんとかやっていきたい。
ちっちゃい脳みそだから、うまくこなせるかとても不安だけど、大マジメに考えようと思いました。

そして河合先生は

一人の楽しさを多くの人々に見せつけている人は、<ほんとうの一人になった時>それに見合うだけの税金として、相当な涙を流しておられる

一人を受け入れることは強くないとできないこと。強くなりたい…。←私も共依存だ。

共依存はこちらのエントリ*1で触れた。
そして、

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p90「 21.ものごとは努力によって解決しない」

解決などというのは、所詮あちらから来るものだから、そんなことを目標にせずに、せいぜい努力でもさせていただくというのが良いようである。

※漢字・送り仮名・改行など改変しています。

 

そうですね。
せいぜい私ができる努力をしたいと思います。
後は野となれ山となれ。

 

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私にも「愛読」してくださる読者さまがいることに、深謝です。こんな中身のない備忘録にお付き合いくださり、言葉もありません。
あらためて気づかせてくださったカメキチさん、本当にありがとうございました。

 

keroyon

こころの処方箋 (新潮文庫)

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