こんばんは。keroyonです。スマホからUPの2回目です。明日の朝、再編集するつもりで、期待しないで書いてます。
今日はおもいだしたように、大学です。 「大学 第三章」から。
「謂わゆる身を脩むるはその心を正すに在りとは…(略)…
心 焉(ここ)に在らざれば、視れども見えず、聴けども聞こえず、食らえどもその味を知らず、此れを、身を脩むるはその心を正すに在り、と謂う。」
私、「心ここにあらず」っていう状況に、よくなります。
■忙しくて、テンパった時
■嫌なことを言われたとき、されたとき
■なにをやってもうまくいかないとき
などなど…。
こんな、「心がない」とき、
「視れども見えず、聴けども聞こえず、食らえどもその味を知らず」
…ナンデ、ワカッタノー…
そう、まさにそうなのよー。私。
だから、身を脩むる必要があるんだなと。
だから、温故知新プロジェクトしてるんだな!と、
再認識した、一文でした。
身を脩むることができてるかは、別として、なるべく心を失わないようにしたいなーと思う、keroyonでした。
久しぶりに、スマホから書いてみたら、とても辞書が賢くて、意外といいかも!(#^.^#)
ではまた明日。ごきげんよう〜🍀
※出展:「大学・中庸」 金谷 治 訳 岩波書店
…変なフレームも削除できない?明日直します。見づらくてすみません。(17/8/3)
…表示の確認・修正しました。(17/8/4)