こんにちは。keroyonです。
久しぶりに孟子を書いてました…。
すごい勢いで書いてたら、firefoxがついていけなくなって…
また落ちた…"(-""-)"。
ガクッ…。。。_| ̄|○
これからは、下書きを保存したり、メモ帳にコピペしたりして、バックアップ取ります…
「ものごとに動じない心を得るのに方法がありますか」
孟子はいろいろな人の例を挙げながら、自分の考えを述べてます。
北宮黝(ほくきゅうゆう)の場合:
尻込みもせずまばたきもせず、人から侮りをうけるのを恥として、卑賤な者から大国の君からさえ辱めを受けまいとして必勝を期し、そのりんりんたる勇気の中に不動心を養う。孟施舎(もうししゃ)の場合:
「勝たざるを視ること猶(な)お、勝つがごとし」勝敗を問題とせず、どんなときにも懼(おそ)れないのを第一として、不動心を得ようとする。…「気概を大切にして」いて曽子に似ている。曽子の場合:
「自ら反りみて縮くんば、千万人と雖もわれ往かん」内に省みて天地に恥じない自己を見出すなら、何の恐れることがあろうか。告子(こくし)の場合:
「他人の言葉で納得のゆかないところがある場合、強いて理解しようとあせってはいけない。心に納得がゆかない場合、強いて気概の助けを求めて合点しようとしてはいけない。それでこそものに動じない心が得られる」
これらの人の意見を受けて孟子さまの考えは、
「志は気をひきいるものであり、気は肉体に充満しているものであるから、志が動けば肉体もそれに伴って動く」
そして、気を養うことに言及します。
「気は…、わが心うちの道義に合って生育してゆく…自ら少しでも心に満足できないところがあれば、この気はたちまちいじけてしまう。
養気について大切なこと…道義にともなわれることが必要で、…気だけを目標にして養ってはいけない、…。気を養うことを忘れるのがよくないのは言うまでもないが、あせって無理に助長しようとするのはよくない。
…苗の生長を早めようとして却って枯らしてしまった、宋の百姓の話が物語られるが、苗を助長しようとして気概ばかりに頼るのは、北宮黝や孟施舎にあたるし、草ひきもしないで放っておくのは告子の場合にあたるのであろう。
先人たちも、いろんな性格の人が動揺しない心を得るためにいろいろ考えていたんだなーと思いました。
keroyon的不動心は、告子っぽい。
…一番、消極的で、問題解決に対して前向きじゃない…
時間が解決してくれるじゃない…(*´▽`*)…なんて。
でも、少しくらい、孟子さまの言われるがごとく、草むしりくらいはしてみようかな。
何回も読むと、『放置もダメだけど、無理もダメっ』てことが見えてきた。
できる時に、できる分だけ、ぼちぼちと。
keroyonにぴったり!!
ではまた明日~。良い一日になりますように🍀🍀🍀。
※出展: 金谷 治,吉川 幸次郎 著 「孟子 上 」 朝日文庫