ただのメモ。

悩みとグチと苦労と不幸と幸せは、気持ちの問題。それぞれに相関はないんだよ。

ドヴォルザークの人となり。

こんばんは。keroyonです。

keroyonは趣味でヴィオラを弾きます。
ヴィオラを始めたのは大人になってから。弦楽器が弾いてみたくて始めました。

今までは、ただ「楽しいから」〇十年続けていましたが、最近自分についていろいろ考えるうち、音楽が趣味で本当によかったなぁと思っています。

 

その理由は…、

  • 音だけでコミュニケーションができ、言葉はいらない(合奏)。
  • 意外と変な人の割合が高い?気がする。
    (もちろん、<普通の人の方が多い>です(*_*))

今となっては、楽器をみんなで弾くことが、唯一の喜びとなってます。
…あ、はてなの世界も同じくらいの楽しみだった。(*´▽`*)

 

で、なぜか今年はkeroyon的ドヴォルザークyear。
演奏会のために、ドヴォルザークの曲を何曲か練習しています。


でね、ドヴォルザークってヴィオラ弾きだったのに、ヴィオラに全然楽しくないメロディばかり。今までは大嫌いだったし、人間性を疑ってました…。

でもね、何曲もドヴォちゃんを同時期に演奏することになって、「嫌いのままじゃ楽しくないな」と思って、人となりを調べてみました。

 

ソースはこちら。
アントニン・ドヴォルザーク - Wikipedia (18/2/25引用)

 

簡単にkeroyon的に要約すると、

ドヴォルザークは、幼少期から音楽の天才だったんだけど、家が肉屋兼宿屋で貧しかったみたい。
肉屋を手伝うために学校をやめさせられそうになったり(実際、奉公に出た)、
親戚のおかげで音楽学校には通ったけど、楽譜が買えなくて友だちから借りたり。

そのうち作曲で有名になり、多分食べるには困らなくなったと思います。

ブラームスドヴォルザークをとても認めていたのは有名な話で、
ハンガリー舞曲」が大当たりしたブラームスは、同じ路線で「スラヴ舞曲」を書いたらきっとあたるとドヴォルザークに作曲を勧めたらしい。
…儲かる話を紹介したのかな。

作曲で名をあげたドヴォルザークは、アメリカの音楽院へ院長として呼ばれ、アメリカにわたって、有名な「新世界より」などを作曲、…

となるのです。

 


ヴィオラ弾きなのに、あの<こむつかしい、楽しくない、難しい>音符。
人となりを調べて、気がついた。

貧しかったし、苦学生だったから、コンプレックスあるんだろうな。
ご飯食べるために仕方なく?弾いたヴィオラなんて、思い入れ少ないよね。


そんなコンプレックスのせいで、性格がひねくれたのか、

 

「俺にはこれくらい簡単だぜ。お前には弾けないだろー」

とか、

「適当に弾くなよぉ。あらゆるところにトラップがしかけてあるぜ( ̄ー ̄)」


と、ヴィオラ向け どやどや感満載!なのです。


keroyonはこれを、「ドヴォルザーク・チャレンジ」と名付け、

「克服してやるー」

と闘志をむき出しにするのでした。

 


今気が付いたんですが、Wikiのエピソードの欄、

彼は、列車の時刻表やシリーズ番号、さらには運転士の名前までも暗記していた。(略)
アメリカからボヘミアに帰国した際に「アメリカとここでは列車が走る時のリズムが全く違う。これはアメリカの方がレールが長いためだろう」と語ったと言われる (略)

 

これ…。なんだか同じ国の人かも…(*´▽`*)。
そう思ったら、さらに大好きになってしまいました。

 

「やってやるぜ。ドヴォルザーク・チャレンジ( ̄ー ̄)」

 


24日の17時から25日の15時まで(もちろん夜は帰宅して寝ますけど)、音と遊び続けた週末でした。楽しかったー。

 

興味がないと読めない記事だったと思います。
それなのに、ここまでお付き合いいただき、本当にありがとうございました。

明日も、楽しい一日になりますように~🍀🍀🍀