ただのメモ。

悩みとグチと苦労と不幸と幸せは、気持ちの問題。それぞれに相関はないんだよ。

精進するのはやめたけど、やっぱり老子はいい。<老子#1>

こんにちは。keroyonです。
お昼休みにタイムトライアルでエントリ書いてます。だいぶはみでた。

 

なんだかんだあって、「日々精進」する気は毛頭なくなっちゃったのですが、なくなる前に岩波の「老子」を入手してまして…(-_-;)。

昨日開いてみました。

 

 

やっぱーえーわー。老子

 

このタイミングで、BEのぶさん、つぶやくし。
…ってツイしてる+フォロしてないとわからない「匂わせ」を挟む。

 

冒頭の一章です。

「道の道とすべきは、常の道にあらず。名のなとすべきは、常の名にあらず。
名なきは天地の始め、名あるは万物の母。
故に、常に欲なくして以てその妙を観、常に欲ありて以てその徼(きょう)を観る。
この両者は同じきより出でて而(しか)も名を異(こと)にす。同じきをこれ玄(げん)という。
玄のまた玄、衆妙(しゅうみょう)の門。」

※いつものとおり、漢字を仮名にしたりしてます。 

 

蜂屋邦夫先生の解説をkeroyon的勝手に要約すると、

(前半略)欲がない立場にたてば奥深いありさまがみれ、欲がある立場にたてば万物が活動する結果の現象が見えるだけ。
この2つのものは、「道」という同じ根元から出てくるものであるが、(微妙で奥深いとか、活動しているとかいうように)違った言い方をされる。同じ根元から出てくるので、ほの暗く奥深いものと言われるが、(そのようにいうと道の活動も万物の活動も同じになるから、)ほの暗く奥深い上にも奥深いものが措定されていき、ここからあらゆる微妙なものが生まれてくる。

 

微妙に要約しました。著者の蜂屋先生ごめんなさい。

 

「大学」だと「小人」「君子」みたいな区分けがあって、小人は私欲があって、とかそういう書き方をしているような気がしましたが、老子はすべて包含されちゃうんです。多分。

どちらかというと、「色即是空、空即是色」にちかいなぁ。
また、「そのぱっと見、大きく違って見えるものが、もともと同じ元から生まれていて、そこが妙なんだなぁ」
だなんて、絶妙な境地じゃないですか。

…keryonの勝手な老子観。

 

何かに悩もうが、自分も変わるし何かという、環境や条件も変わるから、今をなんとかやり過ごす。

人からなんと言われようと、まーいーや。ってことかなー。おかげさまで随分回復できたようです。

 

こんな素敵な老子、色んな人がブログにUPしてるんだろうなぁと思いググる
でたでた、たくさん。
はてなブログの方には、一つづつ足跡を残してきました。うふ。

 

先日の演奏会でいただいた差し入れの、お気に入りの包装紙を再利用してブックカバーにしました。

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別にこれ読んだからと言って、私はかわらないよーだ。

ではでは。

 

引用:蜂屋邦夫 訳 「老子」 岩波書店

 

老子 (岩波文庫)

老子 (岩波文庫)

 

 

※著者 蜂屋先生の漢字を失念してしまいました。本当に申し訳ありません。お詫びして訂正いたします。180509昼下り。