ただのメモ。

悩みとグチと苦労と不幸と幸せは、気持ちの問題。それぞれに相関はないんだよ。

「正道を踏んで死ねたら、それでじゅうぶんだ」<礼記#3>

こんにちは。keroyonです。

政治の話はよくわからないのですが、政治不信感はすごくあるようで...
さっきニュースで政治家の顔を見ただけで、悪寒が。

 

自分でもびっくりしました…。

 

そこでどうしても書きたくなった一説があります。

礼記 檀弓(だんくう) 上 第三から

〇曽子[孔子の高弟、曽参(そうしん)]が病んで寝こみ、重体に陥った。(その門人で貴族の)楽正子(がくせいし)春(しゅん)が枕もとに、[子の]曽元・曽申が足もとに侍し、少年の弟子が一人隅に控えて燭台の番をしておった。

 

その少年が[急に気が付いたように]声を発した。

「先生の簀(さく[寝台の下敷き])は上等の作りで、大夫の用いる品ではございましょう?」

 

子春が制した

「そんなことを、今言うのではないよ」

 

しかし曽子は[それを聞きつけ]驚いた様子で、声を出した。

「ああ。-そのとおりだよ。これは[大夫]季孫(きそん)から贈られた物で、まだ取り換えてなかった。元よ、さあ来て換えてくれよ」

 

元は答えて

「今は大事なときですから、おからだを動かすわけに参りません。幸いに持ち直して朝になりましたら、換えてさしあげましょう」

 

曽子はいった

「お前もわしを大切にしてくれるが、この少年には及ばないぞ。ー君子は正道によって人を愛し、小人は姑息[ごまかし]によって人を愛する、というぞ。わしはもう何もほしくない。ただ正道を踏んで死ねたら、それでじゅうぶんだ」

 

そこで皆で抱えあげて簀(さく)を取り換え、めいめいが席に戻り、腰を落ちつけたか落ちつけぬうちに曽子はなくなった。

 

(注)曽参は孔子の門人の中で特に謹直な人物であり、今は、の際にも礼に外れることを拒んだ。-臨終のことを易簀(えきさく)[下敷きを易(か)える]ということの出典である。

 ここを読んで、「死ぬかもしれないけど、病人にまで礼を強いるとは、やりすぎじゃない?」とも思ったのですが、

「君子は正道によって人を愛し、小人は姑息[ごまかし]によって人を愛する」

 

死をもってしても志を貫くってところが、かっこいいなぁ。と。

 

なんだか「定数6増」とか言ってる与党も、「加計学園」とかいまだに行ってる野党も、小人に見えて仕方がなかったです…。

 

四書五経、勉強してみたらどう?

 

大口叩きました。すみません。
keroyon

 

追記:
師匠・父の望みを叶えてあげる周囲もすごい。
曽元・曽申は、曽参の子どもだった。自分はここまで親のためにできる…???

 

追記2:

知り合いの市議さんとか、政治家さんお一人お一人は、人望があって、すばらしい人が多いのにね。この嫌悪感、自分でも不思議です。 

 

追記3:

加計学園の件は、お友達だから認可OK!はありえないでしょ。
ここまで時間かけるならなにか他の手段はなかったのかなぁ。謀の類で。こっそり更新。

 

引用:竹内照夫 訳(礼記)、平凡社「中国古典文学全集3 論語 孟子 荀子 礼記(抄)」

 

中国古典文学大系 (3)

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