ただのメモ。

悩みとグチと苦労と不幸と幸せは、気持ちの問題。それぞれに相関はないんだよ。

「常に学問に志して怠らない。」精進した方がいいみたい。<礼記#4>

こんにちは。keroyonです。

なんとか、やらなきゃいけない家事をリストアップして、ほぼやっつけたので、ご褒美!?にブログ書いてます。

馬に与えるにんじん状態?自分でもよくわかってない…(^-^;。

 

最近、夏場の「おひさまブースト」がかかり、家事が若干できるようになりました。
すこし普通の人に近づいてます♪

そうするとね、思考が深まらないみたいだな…。
考えてる時間が少ないんだろうなぁ。

 

どちらにしても悩まないことが大事だし、ブーストかけすぎて調子に乗ってたら、8月に眠れなくなった年もあったから、「できることをできるときに、ぼちぼちと」いきます。

 

だから?今日は礼記です。学記 第18から。

 

(君主たるもの、理に合うように努め善良の人を用いると、良い評判は得られるが民衆の心を動かすまでには至らない。
遠くの人々にも思いを察することができれば民心を動かすことはできるが、民衆を感化することはできない…と前置きがあって)

 

〇…君主がもし人民を感化し、美しい気風を作り上げようと望むならば、それこそ必ず学問(および教育)によらなねばなるまい。

 

〇玉も琢(彫琢・加工)を経なければ有用の器物とならぬように、人も学問によらないと道はわからない。だから古代の王者は、国を建て民に臨むに際し、まず教学(学問と教育)を盛んにした。「兌命(えつめい)(注)」に、

 

始めは人に学び、終りは人に教える。
常に学問に志して怠らない。

 

とあるが、このこと(学問と教育の尊重)を言うのであろうよ。

(注)「兌命」とは説命(えつめい)とも書く。『書経』の一篇。

 

学んでみて、始めてわが知恵の貧しさを知り、教えてみて、始めてわが学問のつたなさに悩む

不足に気が付いて、始めて真に反省することができ、自ら進んで勉強することができる。だから昔から「教と学とは互いに助長する」といわれている。また「兌命」に、

教えるのは学ぶの半ばである。

とあるが、このこと(学問と教育の相関性)を言うのであろうよ。

 

学ぶことは大事だそうです。
教育の充実が、国を安定させる基本だそうですよ。fm 古代の王者の実績!?

 

今、働き方改革の一環で、中学生の部活動とかずいぶん縮小されてる(母集団1)けど、ブロック塀の点検とかしてたら、改善にならんじゃん…。

先生方、がんばって!とエールを送ってみる。

 

礼記には、
お葬式でどういう振る舞いをしたらいいとか、子どもから大人の発達段階で、いくつになったらどうするとか、夫婦の関係はどうしたらいいとか、そんなことも書いてある。

 

あの時代のいわゆる「理想」を書いてるんだと思うけど、
腑に落ちないところを除いて、しっくりくるんだなぁ。

 

って、あたりまえか…(>_<)。

 

腑に落ちないところはね、

婦人の三従:婦人は人に従うものであって、幼いときは父兄に従い、嫁しては夫に従い、夫が死んでからは子に従うのである。

 

へっ。

 

とか言ってるから、人生うまくいかないんだろうなぁ。
keroyon

 

引用:竹内照夫 訳(礼記)、平凡社「中国古典文学全集3 論語 孟子 荀子 礼記(抄)」

 

中国古典文学大系 (3)

中国古典文学大系 (3)