おはよございます、keroyonです。
修行がたりんです。
引きこもっていたら、あまり負のエネルギーに触れることもないんだけど、外に出るといろんな人のエネルギーに触れることになり…、良いことも悪いこともある。
昨日は子どもの学校の保護者で集まって打合せ。
雑談の時には、これから行く高校のこととか成績のこと、塾のことで盛り上がる。
…そして心の奥底がゆすぶられる。子どもが自活できることが目標なのに。一般の価値観(良い成績・良い大学など)に自分の元が揺らされる。
そして、子どもにあたる。(>_<)
久しぶりにやっちまいましたね。申し訳ないっ。できてない自分を棚に上げて。
昨日のツイッタで、スマナサーラ長老がこんなつぶやきを。
要は、「感覚のところで止める」ということ。「感じるだけ感じて、放っておく」。ふつうは、感覚からさまざまな感情や欲望が生じるところだが、観察モードで生きることで、自動的に起こってしまう制御不能な思考や感情(煩悩)を止めてみるのです。
— スマナサーラ長老の仏教法話 (@jtba_talk) 2018年11月13日
そうだ。「感覚で止める」「感じるだけ感じて、放っておく」
子どもにあたったって、その後いいことなんて何もないのに。悪いことしかないのに。←言ってからしか気づかない…。
冷静になりたい。
keroyon