ただのメモ。

悩みとグチと苦労と不幸と幸せは、気持ちの問題。それぞれに相関はないんだよ。

毒ガエルひとり旅<その6>総括?

おはよございます、keroyonです。
先日の奈良旅行でふと感じたことを思い出したのでかく。

 

だいたいどこのお寺さんにも「お手伝いの方」がいてね。例えばご朱印帳の受付だったり、御朱印を書いてくれる方もいた(◯福寺←感想にもない!)。掃除や拝観料の方や拝観料の受付、その他諸々。

その雰囲気(僧侶とそれ以外の方の仕事の分担)が、お寺さん毎に違っててね。

 

元興寺ではきっちりと線引きされているようだった。僧侶の方々からも「統一感のあるきっちりした雰囲気」が伝わってきて。自由さはないけど清々しい。

 

報恩庵一休寺は、懐深い一休さんの流れを受けてか、お坊さまからもお手伝いの方たちからも、自由さが伝わってきた。庫裏の売店で働いてる方、受付のお姉さん、お掃除の男性、団体客に説明する僧侶の方も複数おられたが個々の個性が滲み出てた。そこには元興寺に感じた清々しさとは違う、個性を尊重した包容力。

 

どちらが良い、悪いはわからない。

時代は一休寺のような「個性を尊重する時代」なんだろね(←これも古い?)。個々の能力が担保されていたらこれほど素晴らしい事はないが、様々な能力レベル・モチベーションの人を集めて自由にやったら、接客レベルの維持はなかなか難しそうで、危うさも感じたなぁ。

 

そもそも、お寺さんでお手伝いしている方は、バイトなの?ボランティアなの?バイトなら最低時給決められてるけど、ボラなら謝礼?
報酬により?我慢できる幅も変わるよね。なんて泥臭いこと言ってます。お寺でご奉仕される皆さまに幸あれ🍀(若干冷めた目…)

 

…◯福寺の御朱印を書くあるおじさん、もうすこし態度改めたほうがいいよ。怖かった。忙しいのはわかるけどね。私もドライブスルーで延々車が並んで終わりが見えなかった時は発狂しそうになったけど。けど、全国?全世界?の方が見てる日本の顔なのだから、希望を聞かずに勝手に御朱印を書き始めるなんてダメでしょ。

 

…私は、その隣の優しいおじさんだったから、ほんとよかった🍀。

 

ヒトっていろいろめんどくさい。>自戒。
Keroyon