こんにちは。keroyonです。
先日、親戚のお葬式に参列してまいりました。
keroyonは実はお葬式が苦手なのです。
なぜなら、悲しい気持ちがあまりよくわからないので、返答が変な感じになることがおおいからです。だから、今朝はおなかが痛くなるくらい構えていったのですが、
- 大往生だった
- 家族葬だった
ことから、思いのほか雰囲気になじむことができました。ヨカッタ。
で、親戚の方のお顔を拝見したら、
とてもしあわせそうな笑顔でした。
keroyonはなぜか「死」を遠くに感じていなくて、いつでも迎えに来てもらってもいいと常々思っているのですが、いくときには、ああいう笑顔でいきたいなぁと思いました。だから、いくまでは生ききりたいなぁと。
…まぁ、生ききるプロセスの善し悪しは、いろいろあるとは思いますが。
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最中、お坊さん二人で唱えるお経の音程が3度の和音に近いなぁとか、いろいろ、いろいろ!?考えたお葬式だったのですが、最後の初七日のお坊さんの説法が…。
お経まではとってもいいお声で、良かったんです。
お話が…。
普段、ブログやtwitterでお知り合いの方の、生き方について深く語られる文章に触れているためか?、
今日のお坊さんのお話が、上っ面な話ばかりで、だんだん気分が…、
「気分が悪いので、席を外します…」と何度、言おうとしたことか。(>_<)。
…「自分はできそこないの坊さん」を連呼し、名前を知っている参列者の檀家の娘さんに問いかけるような会話(知らない私たちは疎外感でいっぱい)、おまけに自分の娘を馬鹿だと言い出し、檀家のおばさんにフォローを入れてもらう始末…。
でもここは、keroyonの修行場面です。
易経の『言行は、君子にとって、扉のくるる、弩(いしゆみ)のひきがねのように大切なもの』だ。いしゆみをひくなひくな!と、呼吸法で我慢、我慢…。
なんとかお話終了まで持ちこたえたのでありました。
弩のひきがねの話はこちら。
zaihamizunogotoshi.hatenablog.com
いやいや、おしまいのおしまいにこんなことになろうとは。
のちのち、そのお坊さんのうわさを聞き、たまたま結婚したお相手がお寺の娘さんで、成り行きでお坊さんをしているとわかり…。
やっぱり生きることは大変だ。
と、いつもの結論に達したのでありました。
詳しいあらすじまで書いてしまったから、関係者が読んだらばれちゃうね。
お坊さま本人にばれたら、それはそれで、改善してくだされば新規檀家さん獲得など精進につながると思うので、これを機会に「勉強していただきたい」と思います。
なにがともあれ…
今日のネタをありがとう!!
「終わり良ければ総て良し」です。
とっても良い一日でありました。
今日もお付き合いいただき、ありがとうございました。
明日もよい一日となりますように~🍀🍀🍀
追記:私keroyonは、「日々精進」を謳っているのも、仏道に励むお坊さんを尊敬し、目標にしているからであり、だからこそ今日の出来事が心に響いたことを付しておきます。