ただのメモ。

悩みとグチと苦労と不幸と幸せは、気持ちの問題。それぞれに相関はないんだよ。

久しぶりに<老子#5>「知るものは言わず、言うものは知らず」

 

おはよございます、keroyonです。

たまには精進でもしてみようかなと、老子を開いてみました。

 

老子第56章「知るものは言わず、言うものは知らず」

 

本当の知者はもの言わず、ものいう人は本当の知者ではない。

(本当の知者は)欲望が呼び起こされる目や耳などの穴を塞ぎ、欲望が生じる心の門を閉ざす。知恵のするどさを弱め、知恵によって起こる煩わしさを解きほぐす。知恵の光を和らげ、世の中の人々に同化する。このことを道との玄妙な合一という。

 

だから、世の中の人々は彼にしてしむこともできず、また疎んずることもできない。利益を与えることもできず、また損失を与えることもできない。尊ぶこともできず、また卑しむこともできない。だから世の中の貴い存在となるのだ。

 

先日「言うこと変わるね」と、いわれた。
そりゃ、状況がかわれば考え方も変わるし、言うことも変わる。年齢を積んだこともある。それだけじゃない。あなたが「私の発言から、私という虚像を勝手に作り上げてる」からだ。私の本質は何ら変化はないのに。

 

ネットの利点だともいえるけれど、最近は「世の中の世論」なのか「一部のnoisy minorityの声」なのか、よくわからないことが多い。ものを言わないことが悪のようにも聞こえてくる。
確かに困ってること、理不尽なことは声をあげたほうが改善される確率が高まるとは思う。だけれども、ネットの中であってもよくよく観察していると、物言わない知者が多数なのじゃないかと思う。
「言うものは知らず」だと思えば、発せられる言葉に右往左往することも少し減るのかな。

 

言葉はこわい。無防備な心に刺さることもある。だからこそ、

知恵の光を和らげ

こちらも柔軟な心で待ち受け、言葉の刃が心に刺さらないように、交わしたり受け止めたりしながら、ゆるゆる行けたらいいなぁと思った次第です。

 

あなたから見て「私はかわった」のかもしれないが、私が変わろうが変わるまいが、誰にとってもどうでもいいこと。私が今を生きることに注力していればね。

 

もう週の半ば。2月も後半に入ってます。今しか見てないけど、時間は確実に進んですますね…。こわいことです。いや目の前に崖があったとしても足元だけ見てたら怖くはない。一歩出す時に地面がないことがわかったら、地面のある方向に足を出すだけさ。

みなさまには後悔のない人生を~🍀

keroyon

 

老子 (岩波文庫)

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