こんにちは、keroyonです。
一昨日くらいだったか、たまたま見ていたNHKで、高齢者の犯罪についての番組を見ました。おそらくこれかな。
万引きなどを繰り返す高齢者の中には、認知症の人も少なくありません。
そこで番組の中で、「スーパーに買い物に行く」という課題で、何を買うか商品を選ぶというソーシャルスキルとレーニングのようなトレーニングをしていて。
「所持金が少ない」から「今後の生活を考えて」、「野菜やお肉を選ぶ」べきところで、おじさんは「カップ酒とつまみ」を選んでた…w。
そこで、トレーナーが「生活に必要なもの」と「自分が欲しいもの」の区別をつける必要があると、「お酒」を指さし、『これは生活に必要なものですか?』と問い、おじさんは悩みながらも空気を読んで『必要ではなく欲しいもの』だと答えていたのですが…。
この区別って難しいですよね…と、3日も私の小さな頭の奥に引っかかっています。
おじさんの苦し紛れの「ほしいもの…」という言葉の裏に、「生活に必要じゃないでしょう」という、強者の圧力にくじけている気持ちが伝わってきたからです。
家もなくて、家族もなくて、日雇いで日々身銭を稼ぐ生活の中、カップ酒が唯一の生活の楽しみだったとしたら。
安易に「健康を維持するものではないから買っちゃダメ」「野菜や肉を食べなさい」なんて言ったって、響かない。響かないどころか、心と体が乖離していくかも。
あーあ。どうせ一回きりの人生なんだから、自由に楽しく生きれたらいいのにね。
番組の最後に、身寄りのない出所者を引き取るNPOの紹介をしていた。代表の彼(名前すら忘れちゃったけれど)は、24時間体制で親身になって生活を見守り、出所者の心を安定させて再犯を阻止し、高齢者の方からもとても感謝されていた。
人間らしい生活。
おいしいものを食べるとか旅行に行くとか、そういうことだけじゃない、違う幸せを見た気がした。
そっちの幸せに包まれたい。
keroyon