ただのメモ。

悩みとグチと苦労と不幸と幸せは、気持ちの問題。それぞれに相関はないんだよ。

「そして父になる」そして母になれた?

おはようございます。keroyonです。
昨晩、「そして父になる」放映していましたね。

 

ばたばたしながら横目で見ていたのですが、

 

どう、味が違うのか考えてみた。

前回は、普通に「育ての親か血縁か」のあたりを味わってたような気がしたのですが、今回は、

「だれでもあなたみたいにがんばれるわけじゃないのよ。慶多は私に似たのよ」

が、ささったなぁ。

 

前回、映画館で見たのは2013年。確かに立ち位置変わった。
まだその頃は下の子が小さくて、まだ「なんかおかしいなぁ」ぐらいにしか思ってなかった頃。

 

あの野々宮家(福山)3人家族のピアノ発表会のシーンは、その頃のうちと似てたのに。

下の子に「がんばれ。努力がたりない」といってた夫、でも私もまだできると思ってたから、そこはスルーだったな。

 

そのあと、いろんな出会いや思考があって、子どもも自分も「がんばるのは大変なことなんだなぁ」という今に至るんだよね…。そして夫との溝とかまで「あー、わかるわー」って感じ…。

 

なんだか、すごいね。

同じ自分が同じ映画を見ても、経験によって心にささるものがかわるんだ。
違う色のフィルタを覗いてるみたいだった。

他の人は、ほかの場所でささってるのかも、と思っていたら、ツイで流れてきたfujiponさんは、また別の場所で刺さってた。

なんだか、この映画を観ていると、自分のこれまでの父親としてのありかたを、思い返すことが多くて。 だからこそ、ステレオタイプに「お金持ちでも、教育とか習い事重視で、コミュニケーションに乏しい家族」と「そんなにお金がなくても、家族でアウトドアで遊んだり、兄弟でけんかしたりして、濃密なコミュニケーションでつながっている家族」が並べられ、「後者のほうが、本当の家族のありかたではないですか?」と責められ続けているような気がして、つらかったのです。

そして父になる ☆☆☆☆☆ - 琥珀色の戯言

 

ほー。

私は自分色の数色のフィルタしか持ってないから、他の人の見え方とか想像ができないけど、こういう映画を作れる監督って、いろんな色のフィルタを持ってて、いろんな人の刺さり方を想像できたりするのかな。

 

私は全く他の人の気持ちを想像できないから、もしそうならすごく羨ましい。

 

音楽や本も一緒かもね。
私は凡人だから、聴いたり弾いたり読んだりして楽しむだけ。
作る人はもっと緻密で賢いんだろうな。

そういえば昨日もオケの合奏練習だったんだけど、スーパー上手なエキストラ(助っ人)が来てくれて、その人が後ろで弾くと、「あ、ここpp(ピアニッシモ)だった」「これ、8分休符あるのに休んでないっ」等、楽譜の読み込みの甘さがズッキュンズッキュン刺さりました。

 

そういう繊細なところが、とりあえずの必要条件なのかもなーと思った昨日この頃。
ずぼらな私には100回生まれ変わってもムリゲーです。

 

「母になれた?」か?ききます?

 

 

ご想像通りですが、そっちもムリゲー。
人間生活放棄してるから。
ま、ぼちぼちわが道を行きますわ。

 

ちょっと、一日まじめに人間生活してみたら、「購読中のブログ 20+」とか(>_<)。
ついていけてなくて申し訳ないです…。
いつもなら予約投稿の時間だけど、今日はもう上げちゃえ。そういう気分。

 

今日もいい日になるといいねー🍀。
keroyon。