おはようございます、keroyonです。
最近ツイ廃で、なかなかブログが書けないですけど、これは圧倒的にインプットが足りない!ということで、「あとで読みたい」とストックしていた読み物をいろいろ読みました。
ほんとうによかったです。
まだ途中なんですけど、紹介しちゃおう!ということで書いてます。
このノート、とても読み応えがありました。
— keroyon@はてなブログ (@keroyon0001) 2018年8月15日
ゆっくり時間を作って読んでみたけど、半分も読めてない。
続きが楽しみです。 https://t.co/u7FQO2mfHF
この中の呟きにも、たくさんの情報が詰まっていて、これ自体が宝ものみたいなエントリなのですが、その中note、またそのnote内に引用されてるエントリも素晴らしい!
この引用エントリのなかのいくつかは、ブコメにも挙がっていたので、既にご存知の方も多いかと思います。そこはご容赦を。
特に感動したのはこちら。
「編集・ライター系の記事まとめ 」
https://note.mu/notemag/m/mbe11fbbc43b3
覚えのために一応直接urlも書きましたが、くれぐれも上のツイリンクから全て読んで欲しい。
この中から、私が読んで印象的だった部分を、少し紹介します。
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ゲスいことばのフィールドで、縦横無尽に膨大なことばを操ったつもりになったところで、ことばの達人であるかのように振る舞ったところで、そこで育つ根っこはほとんどないんですよ。それよりも、「いいこと」や「あかるいこと」、「たのしいこと」や「前向きなこと」、そんなもともとの語彙に乏しいフィールドで、その対象や心情をどう言語化するかにじたばたしているほうが、ぜったいに育つ根っこは太いんです。
古賀史健 著「ことばの根っこをどう育てるか。」
私にとって、編集とは、惚れ込んだ人の才能および魅力を最大限に引き出し、世の中に伝えていくこと。編集者とは、人(著者)と人(読者・社会)をつなぐ媒介者であると思っている。(中略)
「子育て」は「編集」に似ているなと思う。
徳 瑠里香 著「人生最大の編集」
(なぜ私がリツイートをたくさんするかと言うと)WEB上の私の文章は、いつも完成形ではない。誰かの目に触れて、誰かの感想が添えられて、進化していく。形を変えて、誰かに届く。私が文章に込めた、読み手に与えたいエモーショナルな感情は、読み手と一緒に共創されていくのだ。
りょかち 著 「WEB上のテキストから、エモーションを共創する、という欲望」
クリエイティブ的な仕事において、「愛着」が邪魔をすると、作っている過程で良い悪いの判断ができなくなり、結果、自己満足な仕事しかできなくなってしまう。そこから逃れる「いい方法」はないものか…
(中略)「夏休みの工作」現象から逃れる方法
愛着をなくして客観的に見る方法――。それが、「時間を置く」ということです。
種岡 健 著 「クリエイティブを襲う!「夏休みの工作」現象」
その文章において「何が言いたいのか?」「ひとことで言うなら何か?」という「サビ」を意識することで、ぼんやりした文章は解消し、ウケる文章が書きやすくなるはずである。
竹村俊助 著 「その文章に「サビ」はあるか」
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がんばって読んでみたけど、まだ半分以上残ってます。Twitterにも書いたけど、続きを読むのがとっても楽しみ。
最後に私が心がけていること。
自分の色を入れること。
ただ単に紹介するだけじゃ、他の人が書いても同じ内容になってしまう。わざわざわ私のところを読む必要はなくなるじゃない?悪くするとパクリになっちゃうかも。
だから、身を削って曝け出してます!?
あぁ、かつお節の気分。そのうち痩せて無くなっちゃう?。美味しい旨味がでてるといいんですけどね。
だれ?素材次第とか言ってるの…、キィー( *`ω´)
何がともあれ、ゆるゆるがんばりましょうね🍀
keroyon
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