ただのメモ。

悩みとグチと苦労と不幸と幸せは、気持ちの問題。それぞれに相関はないんだよ。

文章に対する思いいろいろ。珠玉の言葉たち。

おはようございます、keroyonです。

最近ツイ廃で、なかなかブログが書けないですけど、これは圧倒的にインプットが足りない!ということで、「あとで読みたい」とストックしていた読み物をいろいろ読みました。

ほんとうによかったです。

まだ途中なんですけど、紹介しちゃおう!ということで書いてます。

 

 この中の呟きにも、たくさんの情報が詰まっていて、これ自体が宝ものみたいなエントリなのですが、その中note、またそのnote内に引用されてるエントリも素晴らしい!
この引用エントリのなかのいくつかは、ブコメにも挙がっていたので、既にご存知の方も多いかと思います。そこはご容赦を。

 

特に感動したのはこちら。

 

「編集・ライター系の記事まとめ 」
https://note.mu/notemag/m/mbe11fbbc43b3

覚えのために一応直接urlも書きましたが、くれぐれも上のツイリンクから全て読んで欲しい。

 

 この中から、私が読んで印象的だった部分を、少し紹介します。

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ゲスいことばのフィールドで、縦横無尽に膨大なことばを操ったつもりになったところで、ことばの達人であるかのように振る舞ったところで、そこで育つ根っこはほとんどないんですよ。それよりも、「いいこと」や「あかるいこと」、「たのしいこと」や「前向きなこと」、そんなもともとの語彙に乏しいフィールドで、その対象や心情をどう言語化するかにじたばたしているほうが、ぜったいに育つ根っこは太いんです。

古賀史健 著「ことばの根っこをどう育てるか。」

 

私にとって、編集とは、惚れ込んだ人の才能および魅力を最大限に引き出し、世の中に伝えていくこと。編集者とは、人(著者)と人(読者・社会)をつなぐ媒介者であると思っている。(中略)

「子育て」は「編集」に似ているなと思う。

 徳 瑠里香 著「人生最大の編集」

 

(なぜ私がリツイートをたくさんするかと言うと)WEB上の私の文章は、いつも完成形ではない。誰かの目に触れて、誰かの感想が添えられて、進化していく。形を変えて、誰かに届く。私が文章に込めた、読み手に与えたいエモーショナルな感情は、読み手と一緒に共創されていくのだ。

りょかち 著 「WEB上のテキストから、エモーションを共創する、という欲望」

 

クリエイティブ的な仕事において、「愛着」が邪魔をすると、作っている過程で良い悪いの判断ができなくなり、結果、自己満足な仕事しかできなくなってしまう。そこから逃れる「いい方法」はないものか…
(中略)

「夏休みの工作」現象から逃れる方法
愛着をなくして客観的に見る方法――。

それが、「時間を置く」ということです。

種岡 健 著 「クリエイティブを襲う!「夏休みの工作」現象」

 

その文章において「何が言いたいのか?」「ひとことで言うなら何か?」という「サビ」を意識することで、ぼんやりした文章は解消し、ウケる文章が書きやすくなるはずである。

竹村俊助 著 「その文章に「サビ」はあるか」

 

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がんばって読んでみたけど、まだ半分以上残ってます。Twitterにも書いたけど、続きを読むのがとっても楽しみ。


最後に私が心がけていること。

自分の色を入れること。

ただ単に紹介するだけじゃ、他の人が書いても同じ内容になってしまう。わざわざわ私のところを読む必要はなくなるじゃない?悪くするとパクリになっちゃうかも。

だから、身を削って曝け出してます!?

 

あぁ、かつお節の気分。そのうち痩せて無くなっちゃう?。美味しい旨味がでてるといいんですけどね。

 

だれ?素材次第とか言ってるの…、キィー( *`ω´)

 

何がともあれ、ゆるゆるがんばりましょうね🍀
keroyon

 

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