おはよございます、keroyonです。
昨日、私が熱心に読ませていただくブログ主でもあり、myブログの奇特な読者さまでもある、ぬこ(id:nukoblog)さまへ、こんな横柄なブコメを飛ばしてしまい。
ここで謝ります。申し訳ありません。
もう僕は会社員に向いていないのかもしれない - 3年ブログ
今更。周りに同調したくないときは貝になる。つらい仕打ちを受けた時「アウシュビッツよりはまし」と「フランクルの夜と霧」に思いを馳せる。なんとかやり過ごしてます。根本的な原因は根本的解決を目指してね。
2018/11/16 12:41
よくよく考えると私も、フランクルに、一休宗純、スマラサーラ長老、孔子さまに出会う前は、死にそうだった。今も?。
家族ともうまくいかず、ワンオペ子育てに行き詰まり、仕事でも四面楚歌。何かにつけて涙が。そこで引っかかっていたのは「お坊さまってなんであんなに人間ができているんだろう」←この時のお坊さまのイメージは玄侑宗久と瀬戸内寂聴。
そして、「悩み相談 お寺」みたいなキーワードでgglといろいろ出てきてね。その中で目に留まったあるお寺さまにメールをした。
すると、メールや手紙、推薦図書などいろいろ情報をいただきまして。
その時出会った本が、スマナサーラ長老の「一日一話」と」「一日一悟」。
これを読み、肌身離さず持ち、バイブルのようにして生きていました。
「怒りは自分をも傷つける」「合わない人とは距離を置けばよい」「付き合う人は自分が尊敬できる人を選ぶこと」(詳細未確認)など、本当に心にしみていました。
今思うと、雰囲気の合わない職場での経験が、これらの本との出会いを促進したわけで。「無理にヒトに合わせるのはやめよう」とか「いろいろな価値観のヒトがいる」ことを学ぶ機会をいただけたことに感謝。
そのあと、フランクルの壮絶な体験「夜と霧」を読み、あんなに残酷になれるヒトの生態と、あんな仕打ちの中でも希望をもって?生きることができたフランクル。いや「希望を持つと裏切られた時に挫ける」との結論もあったので、目的というべきか。
私が思うに、フランクルの精神科医としての観察眼があの環境を生き抜かせたような気がします。そして記し残すことが宿命だったような。
今のバイブルは「オトナの一休さん」
昨日から読み始めました。この価値観の壊し方、やっぱり好き♪。
「お経が書いてある紙など、お尻をふく紙と同じ。書いてある内容が大事で、書いてある紙が大事なわけではない」さすが!お経で〇ンテを包むとは。
「一休寺」にお邪魔しなければこの本とも巡り合えなかったのね。
ここでもご縁に感謝です。
仕事の話だったw。
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「愚痴」や「距離をおく」ことで済むなら現状keepが咎なし。
「距離がとれない」「心が痛い」のであれば、場所を変える。「孟母三遷す」ともいうし。
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これ、子どもの教育環境にも当てはめてたな…。
お金をいただくって大変なことだから。
いただくお金に見合った働きをしているか。いつも心に問うています。
雇う側からすれば「お得に働いてくれる」なら不満は起こりにくいし、こちらも「いただくお金に働きが見合ってない」と思えば不満が出る。
自分の損得をはかりにかけてGoならGo!でよいのでは。
場所を変えるのもリスクが伴うので、よーく考える。
よく考えて選択したら、しばらく突き進んでみる。上手くいかなくても、そこからなにか一つ学んで次の一歩に備えよう。
私はそう思ってま…した。←過去形(爆!
日々がんばっておられる方々に、良いご縁がありますように~🍀
本、よかったら読んでみてね♪
keroyon