ふと思ったこと。
知り合いの奥さんが亡くなったそうだ。
***
正式には「元奥さん」だ。
一人目の子どもの年齢が近く、性別も同じだったから小さい頃はよく一緒に遊んでた。
しばらくして知り合いとは離婚。
詳しい理由は知らないが、定職につかず、起業してもうまく行かず、のらりくらりと生活する知り合いに、周囲から圧力があったか、嫌気が差したか。
お子さんは女の子だったが、男親の知り合いが子供を引き取り、お子さんは既に独立している。
***
元奥さんはガンだった。
発見が遅れ、余命もわずかとなった時「ひと目子どもにあいたい」と連絡があったそうだ。
知り合いは子どもに聞いた。「お母さんに会いたい?」
子どもは言った。「今さら、顔も記憶にない母には会いたくない」
それで会わないことになったそうだ。
その後もしばらく連絡を取り合ってたらしいけれど、時期、返信がこなくなった。
***
私だったら。
やっぱり合わせるべきだったと思う。
「顔も知らない母にいまさらあってどうするの?」この言葉の裏には、「いてほしかったのにいてくれなかった母への恨み」がある。→「いてほしかった母」なんだよ。
この母がいなかったら産まれなかったあなた。
本当に「会うのが嫌だ」と思っていたとしても、無理にでもひと目会っておくべきなんじゃないだろうか。
ヒトとして会っとくべきではなかったんだろうか。
加えて、そんな環境にしたのは、知り合い本人だ。
離婚したことを相手のせいにしていたのかもしれない。
自分の体たらくを棚に上げていて、触れたくなかったのかもしれない。
そんなことを考えていたら、哀しくなった。彼女の無念が伝わるようだ。
***
ヒトとしてどんな選択をするか、は、そのヒトの価値観次第。
元奥さんが悔やむべきは、そんな知り合いと縁をつないだことだ。きっと今まで子どもを手放したことを後悔していたんだと思う。
娘さんもずっと離婚した母を恨んでたと思う。
そして、知り合いや娘さんは、今回の選択すらも、これからずっと後悔しつづけるのでは?
だから今あるご縁を大切に生きていきたい。
keroyon