承認欲求不満だったね。先日のこのエントリ。
そして、またまたみなさまに助けられました。(今日は、勝手にcallしまくりのkeroyon感謝祭!です。うるさくてすみません。)
「どうせ」の黒魔法。 - keroyonの『精進なんてやーめた』日記
自分のはテキストリンク…。見ると黒魔法にかかれますw。
このエントリを書いてから、読者さまは減るし、どうやら自分が黒魔法にかかり、どーんより。そして、少しネットから離れて、ブログ読む。←離れてない…w。
そしたら、私の「ざらざらした心」に刺さるエントリが次々と目に入る…。(偶然だと思います。心が欲してたんだろうね)
まず、猫pさん。
ブコメまでいただいて、本当にありがとございます。
周りに対して劣等感がある時に私も「どうせ」と言いたくなります。
そうですね。劣等感だ。そしてこのエントリ。
この『承認欲求』、私は特にそれ自体が悪いこととは思っていません。
(略)
人に認められたいという思いは、向上心を維持させるモチベーションとなるので、承認欲求をいい方向に育てれば、学問や芸術、スポーツ等、幅広い分野で多彩な花を咲かせるでしょう。
一方で、この『承認欲求』が強いにもかかわらず、それに見合った努力ができないと、当然その欲求はなかなか満たされません。
そうなると人は、過去の栄光にすがったり、自分よりも承認されているように見える人に対して不名誉な噂を立てて引きずりおろそうと画策したりと、手の付けられないモンスターと化します。
自分の『承認欲求』を、きれいな花に育て上げるも、モンスターにしてしまうも、自分次第だなと痛感する今日この頃なのでした。
そしてこのエントリをみて、猫pさんと同じく「承認欲求満たされまくり」のももはなさんも。←このお二人が、なぜ私なぞと絡んでいただけるのか、ほんとに謎。
誰からも認められないのは当然だね…空しい…
そうなのよ。認められないと苦しいのよね…。
そして、私が落ちた原因をツイていたのは、ゆきにーさん。
自分の成長を考えるならば上方比較の方を増やした方がいいではあるのよ。でも、上を見ると疲れるのよ。こういうレベルの高い人と自分を比較すると劣等感が生じる。これは自責感が強い人は落ち込むだろう。
下方比較を使っても別にいいのかもしれない。成長はできないかもしれないけど、自尊心はみたせる。まぁ、こういう下方比較は本当にやったところで何にもならないってのは知ってた方がいいけど。
するどい…。落ちた原因は、まさにこれだった。リアルですごい人達を目の当たりにして、勝手に落ちてたんだった。いつもお世話になります。
そして原点回帰できたのは、ecoplaceさんのおかげ。
「ぇ、私何か特技あった??」
物心ついた時から必死で生きてきたわりに、私には何も無い。(略)
職種が何であれ仕事が出来るという喜びを忘れてはいないだろうか?
(略)
ただね、私には望みのようなものがあるんだよね。
私がこれから先に歩いて向かうのは「夢」への道だって事。
本当に刺さりました。
私も年だけとってなんだかんだ生きてきたけど、猫pさんやももはなさんのような「承認欲求」を満たすようなネタは、なにも持ち合わせていない。
だけど、だったらなおさら、自分の足元見なくちゃね。
なにもない私だけれど、自分のできる範囲でどなたかの応援ができたり、何か助けになれるんだったら、ココにいてもいいんじゃないか、できることをするだけだなと思い直しました。
私が『承認要求』に飢え『劣等感』の塊だったSaladDayの頃… - 死体を愛する小娘社長の日記
「憐れみを持って度を越えた恫喝が出来る…少し大人になった。」すばらしいしうらやましい。「されどお金」なんて言うけど、やはりお金の潜在力は人を飲み込む力があるのだなぁ。
2019/03/09 11:26
「たかがお金されどお金」なんて言うけど、いやー、お金の力は大切です。
私がこんな風に言うようになるとは、人生わかりませんねー。最近はkeroyonからも若干お金の香りがするらしく、そういう系の方からツイッタでフォローがあるのがびっくりです。
不思議ですね。匂ってますか?さらに匂わせてみた!?
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最後に、渋沢先生からそんな私に喝を入れていただきます。
昭憲皇太后(明治天皇の皇后)御歌
「もつ人の心によりて宝とも、仇(あだ)ともなるは黄金(こがね)なりけり」(略)
しかるに世間の人々は、とかくこの金を悪用したがるものである。されば古人もこれを戒めて「小人罪なし、宝を抱くこれ罪」とか、「君子財多ければその徳を損し、小人財多ければその過ちを増す」などといってある。(略)
今かかる訓言を一々ここに引用したならば、ほとんど枚挙にいとまなしであろうが、これは決して金を軽視してもよいという意味ではない。いやしくも世の中に立って完全の人たらんとするには、先ず金に対する覚悟がなくてはならぬ。(略)
けだしあまりこれを重んじすぎるのも誤りなら、またこれを軽んじすぎるものよろしくない。即ち「国、道ありて貧且つ賤しきは恥なり、国、道なくして富且つ貴きは恥なり」というて、孔子も決して貧乏を奨励はなさらなかった。ただ「その道を以てせざれば、これを得るとも処らざるなり」である。
渋沢栄一「論語と算盤」大和出版 仁義と富貴の章より ※漢字・送りがな・改行など見直しています。
道あるお金儲けは世の道理。そして世にお返しできればOKなんですね。
私には回すお金はないけれど、ご縁や気持ちを回していけたらいいなぁ。
そんなこんなで復活しました。みなさまのおかげです。
本当にありがとございます。
keroyon