おはようございます、keroyonです。
ブログ書きたかったよー。
ちょっとインプットに集中するために?ブログ書きを敢えて休んでみた。
何度もくじけてた。
朝には「トイレットペーパーの節約術と断捨離とストレスと」というエントリの構想はできてて、エントリ書くだけだったし、夜は夜で「長すぎるidって…」みたいな記事を書き上げたのに、下書きの肥やしにしてしまいました。
↑読みたい方いらっしゃいます?コメントいただければ、UPするかもしれません!?
でも公開しないことにがんばった!?
なにかね、自分語りonlyのエントリなんて、微妙だなぁと思ったり、
ま、不安定だったってことだけどさ。
ブログも日記だから何かいてもいいんだけど、なにか書きたい基準っていうのが、自分の中にありそうだなぁと思って考えてた。
keryon的ブログの大前提は、「一日の中で心が動く瞬間が必ず一つはあって、それを思考することで、脳みそのリハビリにする」なので、基本、何かいてもいいつもりなのですが、
一応、他人様にお読みいただくものなので。自己満足の垂れ流しみたいなのもね…。
そして、思い出したように
「ほぼ日」の山田ズーニーさんの「大人の小論文教室」
をよみ、私が躊躇していた理由はこれだ!と。
書く内容は何でもいいんだけど、表現方法としての私の指針は
- 内容は自己満足onlyでも許容範囲だけど、読んでいただく読者の視点も考慮したい(あくまで私の想像の範囲内です。苦手だけど)。
- 読者さまへの敬意を絶対忘れない。
- 表現したいもの・心の動いたことを、大小にこだわらず、素直に出す。(自分色で!)
というところかな。
1,2について参照した記事はこちら。
ほぼ日刊イトイ新聞 - おとなの小論文教室。「2つの文章 ― 3.上から目線」
ネットで、批判されたりディスられたりしたとき、
(略)
私がいちばん耐えがたかったのは、
「上から目線。」(略)
批判する人の文章は、無意識に高みから書きがちだ。
(略)「自分のほうがわかっている、教えてあげなければ。
ネットの人々も誘導されやすい、自分が導いてあげなければ。」批判された人はこの、
「上から目線=自分の尊厳が雑に、下に、置かれる」
ことに傷つく。そして、優越感と同時に「もう1つ」伝わっているように、私は思う。
なぜ、批判を本人だけにそっと言わないのか?
なぜわざわざ自分より下を探し、人前で、あげつらうのか?「この人よりも、私のほうが優れていることを、多くの人に知ってほしい、認めてほしい。」
という願いがあるのかな、と思う。
読者さまの中には、いろんな心のレベルの方がいて、さまざまこころに刺さる表現もかわると思うのね。
とくに今は、私が「調子に乗ってる!」から、「上から目線」になりがちな時期。
無意識に攻撃してしまう表現もあったかもしれない…。苦手だから想定外の範囲が大きくて、ぬけぬけかもしれないけど、私なりになるべく配慮した表現にしたいと思ったのでした。
3についてはこちらから。
ほぼ日刊イトイ新聞 - おとなの小論文教室。「最後まで『表現したい何か』を手離さない」
(略)
表現する人は、
どんな心をかき乱される状況でも、絶望的な状況でも、
表現する以上、最後まで、「表現したい何か」
(伝えたいもの、と言い換えてもいい)を手離しちゃだめだ。
(略)
伝えたいものが何もない話、途中で表現したいものをあきらめた文章は、虚しい自意識のオンパレード。自分の伝えたいものを伝えきって、それがささやかなのは、恥ずかしいことではない。
表現したいものがある人を、人は軽んじない。「表現する以上、最後まで表現したい何かを手離してはいけない」
※改行を変更したり中略を加えてます。改行にも意味があってされてると推察しますが、
山田ズーニー先生、無視して申し訳ありません。
読者の皆様には、ぜひ一度、リンク先で先生の文章に触れてください。
ブログ書きの予定時間を20分もオーバーしちゃった。
最近ぱきぱき動けないので、後ろ後ろにずれて、時間が守れないのよね…。
暑いから、だけじゃないと思う。
これからは、時間は「長くかかるものだ」と自戒して、やりたいことを詰めこまないように行動しないなと思ってます。が、また遅刻かも…。
…ほんと、年と付き合うのも難しい…。
人間生きるのって、課題だらけだね。(>_<)。
課題があることで、張り合いが生まれるんだ……、と思おう。
今日も明日も相変わらず暑い…ですけど、みなさまご無事でお過ごしください🍀。
keroyon