ただのメモ。

悩みとグチと苦労と不幸と幸せは、気持ちの問題。それぞれに相関はないんだよ。

協力はできても理解はむつかしい。<「こころの処方箋」より。その2>

おはよございます、冬眠するする詐欺のkeroyonです。

そういえば、2019年からいろいろブログに対する仕様をいろいろ変えています。
今まではスター魔だったけど、「惰性で打つ3つ」より、「心を込めた1つ」にしてるのもその一つ。スターつける時間は今の方がゆっくり、念を込めてます。←言訳?

ご理解のほど、よろしくお願いします。

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今「こころの処方箋」を読んでいます。

 いや、全然進んでません…。時間の枠を開けないと集中できない心になってますね。
そういうときこそ「今ここへの集中が大切」。今はブログを書くことに集中。

 

P138「19.男女は協力し合えても 理解し合うことは難しい」

中年になって、或いは老年になって、夫婦間の危機を感じる人は多い。(略)

早くローンを返さねばならないとか(略)夫婦が何か共通の目標を持っているときは、お互いに相当協力できるようである。それに夫婦になると互いの欠点をカバーしあわねばならぬところがあって、(略)協力しあっているときは、相手のことなど深くは考えず、ともかく目標に向かって前進する。その時、自分が喜んでいるときに相手の方はそれを支える苦労で半泣きになっていたりしても気付かない。ところが目標を達成してしまって、やれやれと思って、二人が向き合ってみると、お互いのことを本当に知らないままできたことに思い当たる。(略)

 

中年になって急にぎくしゃくしだしたり、離婚などということまで出てきそうになるのは、多くの場合、協力から理解へと至る谷間に差し掛かっている時である。そして、われわれは男女が互いに他を理解するということは、ほとんど不可能に近く、また、時にそれは命がけの仕事と言っていいほどのことであることをよくよく自覚する必要がある。(略)

 

協力関係を「理解」と取り違える人は、どうして相手が急にわからずやになったのかと思ったり、今迄の協力が偽物だったのかと思ったりするが、そうではない。(略)(理解しあう命がけの作業は)一般的に言って、中年になってから始まるといってもいいだろう。その難しさをよく自覚していると、少しの不理解で驚いたり怒ったりするのではなく、それから迎える老年のために、新たな気持ちで少しずつ努力を続けてゆこうという気にもなるだろう。

心に刻みたいのでここにメモ。
「理解しあう命がけの作業」、ここがいわゆる中年の危機の一つの側面なのかもしれない。

なんらかの目的を持って協力することは容易いというのも、国家が仮想敵国を想定することに近いのかな。あっちゃ向いたりこっちゃ向いたりしてる国民のベクトルを合わせたいときはどっかんと何か仕掛けていますよね、どこかの国の大統領選挙のときとか。夫婦や家族関係とも同じなのだな…。

孔子さまが「世界をまとめるには国をよくまとめ、国をまとめるにはまず家族を、家族をまとめるにはまず自分を」と書いていたけれど、そこに通じてる。

www.zaihamizunogotoshi.com

 

ここいら一発、なにかはじめるか!?←そういうことではない。

しかし、平行線なら距離は一定だけど、角度がついてたら…(>_<)。
これから何がおきようと心の準備はOKだぜ!?心の準備だけだよ。他は何もない。

 

いつも体当たり。

keroyon

 

こころの処方箋 (新潮文庫)

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