ただのメモ。

悩みとグチと苦労と不幸と幸せは、気持ちの問題。それぞれに相関はないんだよ。

「人の心などわかるはずがない」<「こころの処方箋」より。その3>

おはよございます、最近、初心を忘れているkeroyonです。

昨日も大口をたたいてしまいました。
反省の意を込めて「河合隼雄先生のこころの処方箋」の冒頭を。

 

1.人の心などわかるはずがない

 

臨床心理学などということを専門にしていると、他人の心がすぐわかるのではないか、とよく言われる。(略)私は人の心などわかるはずがないと思っているのである。

 

「札付き」の非行少年と呼ばれる子が連れてこられることがある。

 

一番大切なことは、この少年を取り巻くすべての人が、この子に回復不能な非行少年というレッテルを貼っている時、「果たしてそうだろうか」というような気持ちをもって、この少年に対することなのである。

 

会ってみると、あんがい少年が素直に話をしてくれる。(略)実はお母さんが怖い人で、小さい時から叱られてばかりだったという。これを聞いて「母親が原因だ」とすぐに決めつけてしまう人も素人である。

 

われわれは母親に対して合うときも、少年に対してと同様に、簡単に決めつけられたものではないという態度で会っていく。

 

ここで一番大切なことは、我々がこの少年の心をすぐに判断したり、分析したりするのではなく、それがこれからどうなるのだろう、と未来の可能性の方に注目して合い続けることなのである。

速断せずに期待しながら見ることによって、今までわからなかった可能性が明らかになり、人間が変化してゆくことは素晴らしいことである。しかしこれはずいぶんと心のエネルギーのいることで簡単にできることではない。むしろ「わかった」と思って(略)決めつけてしまうと、自分の責任が軽くなってしまって、誰かを非難するだけで、物事が片付いたような錯覚を起こしてしまう

 

「心の処方箋」は「体の処方箋」とはずいぶん異なってくる。現状を分析し原因を究明して、その対策としてそれが出てくるのではなく、むしろ未知の可能性の方に注目し、そこから生じてくるものを尊重しているうちに、おのずから処方箋も生まれ出てくるのである。

 河合隼雄 「こころの処方箋」新潮文庫p10より(句読点改行他改変しています。)

 

「人の心などわかるはずがない」

この言葉は一年前、かかりつけの先生にも言われました。その時に目の前が明るくなったのをはっきり覚えています。鬱になったのは、相手の心を読みたくて読めないことが原因だったから!?なのに、現実には「なんでわかってくれないの」事件、多すぎませんか?

私もそれまでは(今もカナ?)そうだったし、私も今でもそうやって責められることがあります。でも過去は消せないしやり直せない。この先しかないのに。
過去のことをダメだしされても、今の私にはどうしようもできない。それはココに生きる人、誰にも当てはまることだと思うのにな。
だからこそ、「未来の可能性」に期待するしかないのだけれど。

 

ただ、
自分は変えられるけど他人は変えられない。
だから貝になります。

おのずから処方箋も生まれ出てくるのを信じて。

 

keroyon

こころの処方箋 (新潮文庫)

こころの処方箋 (新潮文庫)