感動したところを、ただの自分用メモ(備忘録)。
私の気づきではありません。受け売りです。いつものごとく、はてなサーバー汚します。
これは、昨日はてなブロガーさんのインクさんのこちらのイベントを聞きまして、
そのの自分用メモです。インクさんの「おもしろいブログ」はこちら。
ちなみにごんぎつねの文章はこちらから拝借いたしました。サムネなかったのでテキストリンクのみで、失礼します。(問題ありましたらサイドバーの問い合わせからお知らせください)
<長いので目次>
***メモ***
テーマ:ごんぎつねと兵十の物理的距離感は、心的距離感を表してる。
それが絶妙なのです。本文を引用しつつメモります。
一
その中山から、すこしはなれた山の中に、「ごんぎつね」というきつねがいました。ごんは、ひとりぼっちの小ぎつねで、しだのいっぱいしげった森の中に穴(あな)をほって住んでいました。
ごんは孤独だったんですね。
二、三日雨がふりつづいたそのあいだ、ごんは、ほっとして穴(あな)からはい出しました。空はからっと晴れていて、もずの声がキンキンひびいていました。
3日雨が降ることにも意味がある。外に出れずに穴にいたごんが外に出る動機でもあり、天気が良くて川が増水し、兵十が川で魚を捕る裏打ちにも。
ふと見ると、川の中に人がいて、何かやっています。ごんは、見つからないように、そうっと草の深いところへ歩きよって、そこからじっとのぞいてみました。
「兵十だな。」と、ごんは思いました。
ここはまだごんが遠くから見てる。(兵十は母と二人暮らし。孤独なごんとの心の距離感)
兵十がいなくなると、ごんは、ぴょいと草の中からとび出して、びくのそばへかけつけました。
いちばんしましいに、太いうなぎをつかみにかかりましたが、なにしろぬるぬるとすべりぬけるので、手ではつかめません。ごんはじれったくなって、頭をびくの中につっこんで、うなぎを口にくわえました。うなぎは、キュッといって、ごんの首へまき付きました。そのとたんに兵十が、向こうから、「うわあ、ぬすっとぎつねめ。」と、どなりたてました。
いたずらを見つけた兵十がゴンにかけよる。ごんは逃げる。まだまだ兵十とごんは別世界に生きてます。
二
こんなことを考えながらやってきますと、いつのまにか、表に赤い井戸がある、兵十の家の前へ来ました。その小さな、こわれかけた家の中には、おおぜいの人が集まっていました。(略)
「ああ、そう式だ。」と、ごんは思いました。
「兵十の家のだれが死んだんだろう。」
(略)
「ははん。死んだのは兵十のおっかあだ。」
(略)
「兵十のおっかあは、床(とこ)についていて、うなぎが食べたいといったにちがいない。それで兵十がはりきりあみを持ち出したんだ。ところが、わしがいたずらをして、うなぎを取って来てしまった。だから兵十は、おっかあにうなぎを食べさせることができなかった。そのままおっかあは、死んじゃったにちがいない。ああ、うなぎが食べたい、うなぎが食べたいと思いながら、死んだんだろう。ちょっ、あんないたずらをしなければよかった。」
ことの始まり。ここで「兵十が孤独になった=ごんと同じ側にきた」、ごんの気づきのシーン。そしてここからごんの兵十への贖罪とアプローチが始まる。
私が気になるのは、「兵十のおっかあは本当にうなぎが食べたいといったのか」
ごんの推測の域を出てないのが気になります。
どうあれ、滋養のためにうなぎをとってたのと、うなぎを食べずになくなったことは事実なので、何の問題もないですが。
三
兵十の家の中へいわしを投げこんで、穴へ向かってかけもどりました。(略)
ごんは、うなぎのつぐないでに、まず一つ、いいことをしたと思いました。
家の中に、無造作に投げ込むんですよね。まだまだごんの(兵十に対する)警戒感が。
「いったいだれが、いわしなんかをおれの家へほうりこんでいったんだろう。おかげでおれは、ぬすびとと思われて、いわし屋のやつに、ひどい目にあわされた。」
いいことをしたと思ったのにね…。ごんの失望感w
ごんは、こう思いながら、そっと物置の方へ回って、その入口にくりを置いて帰りました。
物置の入り口なんですよね。母屋(兵十)に近づきたいけど近づけない、微妙な距離感に…。
四
ごんは、二人の後をつけていきました。(略)
加助がひょいと、後ろを見ました。ごんはびっくりして、小さくなって立ち止まりました。
加助と兵十の話を聞きながら、二人についていくごん。
栗や松たけを運んだのは「ぼくだよ」と言いたげで、ごんの「兵十に近づきたい」気持ちが…。
「加助がひょいと後ろをみる」ことで、我に返るごん。痛い。
五
(くりや松たけを持ってくる)神様が登場ですw
「そうだとも。だから、毎日、神さまにお礼を言うがいいよ。」
「うん。」
ごんは、へえ、こいつはつまらないなと思いました。おれが、くりや松たけを持っていってやるのに、そのおれにはお礼を言わないで、神さまにお礼を言うんじゃあ、おれは、ひきあわないなあ。
六
それでごんは、うら口から、こっそり中へ入りました。
この日は母屋に入っちゃうんですね。距離感縮めたくて、焦ってるごんの気持ち。近づけば近づくほど、離れてることに気づくやるせなさが。
そして(兵十は)足音をしのばせて近よって、今、戸口を出ようとするごんを、ドンとうちました。ごんはばたりとたおれました。兵十はかけよってきました。家の中を見ると、土間にくりが固めて置いてあるのが目につきました。
ここで初めて兵十がごんに駆け寄る。二人の距離感が一気に近づく。
「ごん、お前だったのか。いつもくりをくれたのは。」
ごんは、ぐったりと目をつぶったまま、うなづきました。
ここの一文、草稿では「権狐はぐったりなったまま、うれしくなりました。」だそうです。
うれしくなったのは、誤解が解けたから? ごんの贖罪の日々を兵十が理解してくれたからですね…。ごんが生きている間に、誤解が解けて本当によかった。
穿った見方では、ごんの
「兵十のおっかあを(滋養をつけさせず)亡くしてしまったのは自分」という後悔を、「誤解からごんを死なせたこと」の後悔を兵十にも追わせることができて嬉しい、
なんて見方もできるのかもしれないけど、やっぱりそれは新美南吉に失礼だよねぇ、と一ファンは感じるのです。
***メモおわり***
この絶妙な距離感の駆け引きって、昔も今も変わんなくて、みんな悩んでたんだなぁ。
死んでもなお、嬉しい気持ちになれるって、すごくないですか?
「誤解を解く」努力w。←辛い>自戒
***おまけ***
冒頭の2行の必要性について(おまけ)
これは、わたしが小さいときに、村の茂兵(もへい)というおじいさんからきいたお話です。
むかしは、わたしたちの村のちかくの、中山というところに小さなお城(しろ)があって、中山さまというおとのさまがおられたそうです。
この2行の必要性について言及されていました。私はこう思うのです。
最後に、伝聞表現に戻らない(映画「タイタニック」のような)構成は、認知的不協和を起こして、作品の魅力UPさせる新美南吉の技法かなと感じてます。
読み返したら、四に「中山さまのお城」が出てきましたね。この一文でリアル感がぐっと増します。ないとぼけちゃう。
郷土のお城中山城を登場させてほしい。だから冒頭は必要だなと地元民は思います。(そんなに近くはないが!?)
***おまけ終わり***
おわりに
私は先生でなく、ただの新美南吉が大好きな一読者です。
いろんな方の解釈を伺い、更に新美南吉が好きになりました。そして参加した先生方の研究熱心さとご努力には、尊敬しかありません。
応援しています。ありがとうございました。
keroyon
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